人物

ヘンリー・バトソン・ジョイナー:明治初期の鉄道・測量技術者

明治時代初期にお雇い外国人として来日し、鉄道建設や測量、気象観測の指導に携わった技術者ヘンリー・バトソン・ジョイナーの経歴と業績を解説します。

📌 主なポイント

  • 1839年生まれのイギリス人技術者。
  • 1870年に鉄道建設の指導者として来日。
  • 工部省測量司にて測量、建築、気象観測に従事。
  • 1877年に日本を離れ、後にブラジルで上水道建設に携わった。

ヘンリー・バトソン・ジョイナー(Henry Batson Joyner、1839年7月9日 - 1884年11月23日)は、イギリス出身の技術者であり、明治時代初期に日本政府に招かれた「お雇い外国人」の一人です。鉄道建設、測量、および気象観測の分野で指導的役割を果たしました。

経歴

イングランドのノースウィック出身。鉄道建設の現場で経験を積み、明治政府の鉄道建設プロジェクトに従事するため、1870年に技師長エドモンド・モレルらと共に来日しました。ジョイナーの家族も後に来日しており、弟のロバート・バトソン・ジョイナーも技術者として活動しました。

日本での活動

1871年に工部省測量司が発足すると、測量師長コリン・アレクサンダー・マクヴェインの誘いを受け、鉄道寮から転属しました。以降、マクヴェインの下で測量や建築営繕に従事し、工学寮工学校校舎の設計・建設にも携わりました。

1874年以降は気象観測の業務に専念しました。東京・赤坂葵町に設置された観測所において、チャレンジャー号海洋探検隊の訪問を受けた際、教授チャールズ・ワイヴィル・トムソンやトーマス・ティザードらから指導を受け、公式な気象観測を開始しました。また、地震観測装置の導入にも関与しています。

帰国と晩年

1877年に日本との契約が満了すると帰国しました。その後はブラジルのサンパウロにおける上水道建設プロジェクトに従事しましたが、1884年にイギリスで病没しました。

よくある質問

ヘンリー・バトソン・ジョイナーは何をした人ですか?
明治時代初期に来日し、鉄道建設や測量、気象観測の技術指導を行ったお雇い外国人です。
日本でどのような施設に関わりましたか?
工学寮工学校校舎の設計・建設や、赤坂葵町における気象観測所の設置・運営に携わりました。
日本を離れた後は何をしましたか?
1877年の帰国後、ブラジルのサンパウロで上水道建設のプロジェクトに従事しました。

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お雇い外国人工部省コリン・アレクサンダー・マクヴェインエドモンド・モレル

参考文献

  • Obituary: Henry Batson Joyner, 1838-1884, Proceedings of the ICE, vol.79-1885, pp.370-371.
  • 泉田英雄:工部省創設再考, 日本建築学会計画系論文集, 2014年.