暦・文化
丙午(ひのえうま)と社会への影響

干支の一つである「丙午(ひのえうま)」の概要と、日本社会における迷信の歴史、出生率への影響について解説します。
📌 主なポイント
- ✓丙午は干支の組み合わせの43番目であり、十干と十二支がともに火性である。
- ✓「丙午の女性は気性が激しい」という迷信は日本特有のものである。
- ✓1966年の丙午では、迷信の影響により出生率が前年比で約25%減少した。
- ✓2026年の丙午においては、大規模な産み控えの動きは見られていない。
丙午(ひのえうま、へいご)は、干支(十干十二支)の組み合わせの一つであり、60年周期で巡ってくる。陰陽五行説では、十干の「丙(ひのえ)」と十二支の「午(うま)」がともに陽の火性に属するため、比和の関係にあるとされる。
歴史的背景と迷信
日本において、丙午の年に生まれた女性は「気性が激しく、夫の命を縮める」という迷信が古くから存在する。この俗説は、江戸時代に「丙午の年には火災が多い」という言い伝えと、八百屋お七の伝説が結びついて形成されたと考えられている。お七が丙午生まれであるという説は、浄瑠璃や文学作品を通じて広まり、時代とともに女性の結婚に関する忌避感情へと変容していった。

近代以降の出生率への影響
明治時代以降もこの迷信は社会に根強く残り、出生数に顕著な影響を与えてきた。特に1966年(昭和41年)の丙午は、前後の年と比較して出生率が約25%低下した。これは、多くの夫婦が丙午の出産を避けるための家族計画を行った結果である。この時期には、迷信を否定する自治体の啓発活動や、迷信に翻弄された女性たちの苦悩が社会問題として報じられた。

現代における丙午
2026年(令和8年)は60年ぶりの丙午にあたるが、現代社会ではかつてのような大規模な産み控えの動きは確認されていない。政府の答弁や統計速報においても、丙午の迷信に基づく社会的な影響は限定的であると見なされている。
よくある質問
丙午の迷信はいつ頃から広まりましたか?
江戸時代初期に「火災が多い年」という言い伝えと、八百屋お七の物語が結びつき、その後、女性の結婚に関する忌避として広まりました。
なぜ1966年の出生数は極端に少なかったのですか?
丙午の迷信を信じる夫婦が、子供を産むことを避ける家族計画を行ったため、出生数が大幅に減少しました。
丙午生まれの女性に不利益はありますか?
統計学的な調査や社会的な実証において、丙午生まれであることが職業や結婚、人生の成否に不利益をもたらすという証拠は見出されていません。
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参考文献
- 吉川徹『ひのえうま: 江戸から令和の迷信と日本社会』光文社、2025年。
- 新津隆夫、藤原理加『1966年生まれ 丙午女(ヒノエウマ・ウーマン)』小学館、1996年。
- 朝日新聞「昭和史再訪セレクション Vol.78 ひのえうま 迷信追放に挑んだ村」2012年。