歴史
第二次世界大戦末期の広島市への原子爆弾投下

1945年8月6日に連合国のアメリカ合衆国によって広島市へ投下された原子爆弾リトルボーイに関する歴史的背景、被害、影響についての百科事典記事。
📌 主なポイント
- ✓投下年月日は1945年8月6日午前8時15分である。
- ✓使用された原子爆弾はウラン原爆「リトルボーイ」であり、爆撃機「エノラ・ゲイ」から投下された。
- ✓人類史上初めて実戦で使用された原子爆弾および核攻撃である。
- ✓推計で約9万から16万6000人が被爆から数か月以内に死亡したとされる。
広島市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、連合国のアメリカ合衆国が日本の広島県広島市に対して原子爆弾「リトルボーイ」を実戦で使用した出来事である。B-29戦略爆撃機「エノラ・ゲイ」より投下されたガンバレル型ウラン原爆であるリトルボーイは、人類史上初めて実戦で使用された原子爆弾であり、都市に対する核攻撃としても史上初であった。
背景と投下命令
アメリカを中心とする連合国は、ナチス・ドイツの核開発に対抗する形で「マンハッタン計画」を推進し、原子爆弾の開発を進めた。1945年7月16日には世界初の核実験であるトリニティ実験に成功した。その後、同年7月25日にマンハッタン計画の責任者であるレスリー・グローブスらによって投下指令書が作成され、テニアン島の第509混成群団を主体として日本国内の都市への爆撃準備が進められた。広島は小倉、新潟、長崎とともに第1目標の候補地とされていた。
被害と惨状
爆心地となったのは島病院の上空であり、原爆による強烈な放射線、高熱、爆風、そしてそれらによって発生した火災により、広島市街は壊滅的な被害を受けた。当時の人口は約37万から40万人と推定されており、そのうち約9万人から16万6000人が被爆から数か月以内に死亡したとされる。また、日本軍の第59軍司令部も壊滅するなど、軍民を問わず甚大な人的・物的被害をもたらした。
報道と当時の対応
被爆直後から通信網や放送設備が大きな打撃を受けた中、NHKの技手らによる局間連絡電話を通じた外部との連絡や救援要請が行われ、大本営や政府機関へ状況が伝えられた。日本政府は同年8月8日の昭和天皇の発言や、同月14日の御前会議を経てポツダム宣言受諾へと傾き、同年9月2日の降伏文書調印に至った。
よくある質問
広島に投下された原子爆弾の名前は何ですか?
ウラン原爆「リトルボーイ」です。
原爆が投下された日時はいつですか?
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分です。
原爆を投下した爆撃機の名称は何ですか?
アメリカ軍のB-29戦略爆撃機「エノラ・ゲイ」です。
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参考文献
戦史叢書および国立公文書館、NHKアーカイブス等の公開資料に基づき構成。