日本の地理

広島平野の地形と太田川デルタの歴史

広島平野の地形と太田川デルタの歴史
広島県南西部に広がる広島平野の地理的特徴、太田川デルタの形成過程、江戸時代以降の干拓事業や治水の歴史について解説します。

📌 主なポイント

  • 広島平野は、広島県南部にある太田川によって形成された沖積平野である。
  • 平野南部には典型的な三角州である太田川デルタが広がり、広島市の中心市街地となっている。
  • 江戸時代以降、自然の砂州を基礎とした干拓事業が進められ、南側へ新開地が拡大した。
  • 1967年に太田川放水路が竣工したことにより、大規模な洪水被害が大幅に軽減された。

広島平野(ひろしまへいや)は、広島県南西部、広島湾の最奥部に広がる平野です。太田川によって形成された沖積平野であり、広義には八幡川や瀬野川の河口周辺の平野も含めて称されます。全域が広島市内に属しています。

広島平野の景観(2025年3月撮影)
広島平野(2025年3月)

地理と太田川デルタ

広島平野の南部には、太田川が運んだ土砂によって形成された典型的な三角州(デルタ)が広がっており、一般に「太田川デルタ」や「広島デルタ」と呼ばれます。広島市の中心市街地はこのデルタ地帯に位置しています。一方、北部は新興住宅地と農地が混在しており、地域の伝統野菜である広島菜の産地としても知られています。

太田川放水路の図(2013年時点)
太田川放水路(図は2013年時点)

太田川放水路と旧太田川(本川)の分岐点を境にして、平野は北部と南部に大別されます。もともと太田川の派川(分流)は西から順に山手川(己斐川)、福島川(川添川)、天満川、太田川、元安川、京橋川、猿猴川の7河川でしたが、治水対策の一環として西端の山手川が拡幅されて太田川放水路が開削され、福島川は埋め立てられました。その結果、現在は西から順に太田川放水路、天満川、本川、元安川、京橋川、猿猴川の6河川となっています。

1930年頃の広島の地図
1930年 頃( 昭和 5年頃)の広島地図。

歴史的発展と干拓

歴史的に見ると、広島城は三角州の中で周囲と比較して比較的標高が高く、最も広い中洲を選んで築かれました。デルタの南側に広がる海域では、江戸時代以降、自然の砂州を基礎とした干拓事業が積極的に進められました。「新開」と呼ばれる土地が南側へ向けて段階的に拡大していった経緯があります。

広島の新開地発展図
広島の新開地発展図。『概観広島市史』(1955年)巻末図。
1644年の正保城絵図
1644年 正保城絵図『安芸国広島城所絵図』。
寛永年間の広島城下絵図
寛永年間(1624年-1645年)広島城下絵図。
1880年の広島市地図
1880年(明治13年)の広島市地図。
1945年の米軍作成広島市地図
1945年の広島市地図。米軍作成。

治水の変遷

南部の三角州地帯、とりわけ広島城より南側の地域は、江戸時代以降に埋め立てられた土地が多いため標高が低く、歴史的に度々洪水に見舞われてきました。1932年の太田川改修計画に基づき1934年に着工された太田川放水路は、第二次世界大戦中および戦後の工事中断を経て、1967年にようやく竣工しました。この放水路の整備以降、市街地全体が冠水するような大規模な洪水は発生していません。

ただし、海岸線に近く標高が極めて低い南区の宇品地区や中区の舟入南・江波地区などでは、今日でも大雨や高潮時に道路が冠水することがあります。

よくある質問

広島平野はどのようにして形成されましたか?
太田川などの河川によって運ばれた土砂が堆積して形成された沖積平野および三角州(デルタ)です。
広島デルタを形成する河川はいくつありますか?
現在は太田川放水路、天満川、本川、元安川、京橋川、猿猴川の6河川となっています。
太田川放水路はいつ完成しましたか?
1932年の改修計画に基づき1934に着工され、工事中断等を経て1967年に竣工しました。

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太田川広島市山陽道広島城

参考文献

  • 新修広島市史 第1巻
  • ミズベリング|MIZBERING 水都広島の水辺デザイン① 太田川デルタ地帯のオープンスペース
  • 熊原康博「水害対策から造られた太田川放水路」『ひろしま地歴ウォーク』
  • 『概観広島市史』
  • 本田美和子「広島デルタ成長の痕跡を探す」『地歴ウォーク』