日本各地における西郷隆盛像の歴史と造形

📌 主なポイント
- ✓東京都上野恩賜公園の西郷隆盛像は高村光雲が制作し、1898年(明治31年)に除幕された。
- ✓上野の銅像は軍服ではなく、兎狩りに出かける際の狩衣姿(着流し)で表現されている。
- ✓鹿児島市城山町の銅像は安藤照が制作し、1937年(昭和12年)に除幕された陸軍大将服の姿である。
- ✓霧島市溝辺町の西郷公園にある像は古賀忠雄の原型によるもので、高さ10.5メートル、重さ30トンある。
西郷隆盛像(さいごうたかもりぞう)は、日本の武士・軍人・政治家である西郷隆盛(1828年 - 1877年)の顕彰を目的として建立された銅像である。本項では、特に著名な東京・上野恩賜公園、鹿児島市、そして霧島市にある3体の西郷像について解説する。
東京・上野恩賜公園の西郷銅像
東京都台東区の上野恩賜公園に建っている西郷像は、高村光雲が制作し、傍らにいる犬「ツン」は後藤貞行が手がけた。鋳造は岡崎雪聲、台座は塚本靖が設計している。1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷の「逆徒」の汚名が解かれたことをきっかけに、吉井友実ら薩摩藩出身者が中心となって建設計画が始まった。

宮内省からの下賜金および全国の有志による寄付金をもとに建立され、西郷の死後21年を経た1898年(明治31年)12月18日に除幕式が行われた。像の寸法は身長370.1センチメートル、胸囲256.7センチメートル、足55.1センチメートルであり、足元から見上げた際に遠近法で適正に見えるよう頭部が大きく作られている。
制作にあたっては、西郷その人を撮影した信頼できる写真が残っていなかったため、エドドアルド・キヨッソーネのコンテ画などを元に、関係者への聞き取りや石膏像・木彫の修正を重ねて進められた。服装は軍服ではなく、大山巌の発案による兎狩りに出かける際の狩衣姿(着流し)となっている。これは西南戦争を経て逆賊となった経緯から軍服を避けた政治的意図があったとも指摘されている。
鹿児島市の西郷銅像
鹿児島市城山町には、1937年(昭和12年)に郷土の彫刻家である安藤照が制作した高さ5.25メートルの銅像が建てられている。建立計画は1927年(昭和2年)の南洲神社50年祭の記念事業として始まり、1937年5月23日に除幕式が行われた。

上野の銅像と同様に生前の確かな写真がなかったため、安藤は関係者からの聞き取りを行ったほか、洋画家の藤島武二が西郷の服を着用してモデルの一人となるなどして制作が進められた。上野像とは異なり、こちらは陸軍大将の服を着用した正装の姿で表現されている。
霧島市溝辺町の西郷公園の銅像
鹿児島県霧島市溝辺町の鹿児島空港近くにある西郷公園には、正式名称を「現代を見つめる西郷隆盛像」とする像がある。彫刻家の古賀忠雄が原型制作を手がけ、鋳造は富山県の黒谷美術が担当した。

当初は1977年の西郷没後百年事業として関西方面への建立が計画されたが、関係者の急死や製作者の死去により一時中断し、倉庫に保管されたままとなっていた。その後、1988年(昭和63年)に現在地へ移設され、同年8月28日に除幕式が行われた。像は腕を組んだ袴姿で東を向いており、高さ10.5メートル、重さ30トンを誇り、実在する人物像としては日本最大級とされる。
よくある質問
上野の西郷隆盛像が軍服ではなく着流し姿なのはなぜですか?
西郷隆盛の銅像のモデルはどのように選ばれましたか?
日本で最も大きい西郷隆盛像はどこにありますか?
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参考文献
高村光雲『木彫七十年』日本図書センター、2000年。