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地中海の要衝キプロス島の変遷と歴史的背景

地中海の要衝キプロス島の変遷と歴史的背景

📌 主なポイント

  • ✓キプロス島は先史時代から人間の居住地として知られている。
  • ✓965年前後、東ローマ帝国の将軍ニケタス・カルコテスによって再征服された。
  • ✓1571年にオスマン帝国が占領し、その後トルコ人の移住が進んだ。
  • ✓1960年にキプロス共和国として独立を果たした。

キプロス島は地中海東部に位置し、古くから文明の交差点として栄えてきました。先史時代から現代に至るまで、数多くの帝国や勢力の統治下で独自の文化を形成してきました。

クレオパトラ7世時代のプトレマイオス朝の領域
クレオパトラ7世時代のプトレマイオス朝の領域。

先史時代と古代

西部キプロスでは石器時代の井戸が発見されており、青銅器時代にはミケーネ人などが移住しました。その後、アッシリアや古代エジプト、アケメネス朝ペルシア、プトレマイオス朝エジプトの支配を受け、紀元前58年までに古代ローマの属州となりました。

東ローマ帝国、マケドニア王朝時代の領域
東ローマ帝国、マケドニア王朝時代の領域。

中世と近代の支配

ローマ帝国の分裂後は東ローマ帝国の統治下に入り、アラブ人との共同統治期などを経ました。965年前後には東ローマ帝国の将軍ニケタス・カルコテスによって再征服されました。

アギア・パラスカヴィのビザンツ教会
アギア・パラスカヴィのビザンツ教会(現在のゲロスキポウ)。
12世紀には十字軍のイングランド王リチャード1世によって占領され、その後キプロス王国が成立しました。1489年からはヴェネツィア共和国の支配下となりました。

オスマン帝国最大領土
オスマン帝国(最大領土)。

1571年にはオスマン帝国に占領され、トルコ人の流入が始まりました。

ベルリン会議
ベルリン会議。
1878年のベルリン会議以降はイギリスによる統治が始まり、1925年に正式なイギリスの植民地となりました。

独立と現代の状況

1960年にキプロス共和国として独立しましたが、後にギリシャ系とトルコ系の間で紛争が発生しました。1983年には北キプロ・トルコ共和国が独立を宣言したものの国際的には認められていません。

キプロスの国旗
キプロスの国旗。
北キプロスの国旗
北キプロスの国旗。
国際連合旗
国際連合旗。
現在のキプロスの状況
現在のキプロスの状況。
2004年にはキプロス共和国が欧州連合(EU)に加盟しました。

よくある質問

キプロス島はいつ独立しましたか?
1960年8月16日にキプロス共和国として独立が宣言されました。
キプロス島はどの国の支配を受けたことがありますか?
古代のローマ帝国やエジプト、東ローマ帝国、十字軍、ヴェネツィア共和国、オスマン帝国、そして近代のイギリスなどの支配を受けました。
キプロスはEUに加盟していますか?
キプロス共和国は2004年5月1日に欧州連合(EU)に加盟しています。

参考文献

  1. Savvides, Alexios G. C. (1993). (Greek)Επετηρίς Κέντρου Μελετών Ιεράς Μονής Κύκκου (Nicosia) 2: 371–378.