エストニアの歴史的展開と変遷

📌 主なポイント
- ✓紀元前3000年ごろにフィン・ウゴル語派に分類される民族が移住した。
- ✓13世紀にドイツ十字軍やデンマークによる征服が進み、ドイツ人領主による支配が確立された。
- ✓1721年のニスタット条約によりロシア帝国の支配下に入った。
- ✓1918年2月24日にエストニア共和国としての独立が宣言された。
エストニアの歴史では、バルト海東岸に位置するエストニアの領域における先史時代から近代までの変遷を記述する。長年にわたりドイツ人、スウェーデン、ロシアなどの外部勢力による支配や干渉を受けながらも、独自の民族的アイデンティティを形成してきた。
先史時代と中世の動向
紀元前9500年から紀元前7500年ごろの旧石器時代から人類が生活を営み、紀元前3000年ごろにはフィン・ウゴル語派に分類される民族が移住した。13世紀以前のエストニアは統一されておらず、キヘルコントと呼ばれる共同体に分かれていた。

12世紀末から13世紀にかけて、キリスト教化を掲げたドイツ人の十字軍やリヴォニア帯剣騎士団、デンマークが侵攻した。1219年にはデンマーク軍がタリンの起源となる要塞を築き、その後領域はドイツ騎士団領や司教領に組み込まれていった。都市ではハンザ同盟に加入したレヴァルなどが繁栄した一方で、土着のエストニア人はドイツ人領主の支配下におかれた。
スウェーデンおよびロシアの支配時代
16世紀のリヴォニア戦争を経て、17世紀までにエストニアの大部分はスウェーデンの支配下に入った。スウェーデン統治期は後に「良きスウェーデン時代」と呼ばれ、学術の発展などが見られた。
しかし、大北方戦争の結果として1721年のニスタット条約によりロシア帝国に編入された。ロシア統治下ではバルト・ドイツ貴族が特権を維持し、農奴制の廃止は19世紀初頭に行われたものの農民の生活改善は限定的であった。19世紀後半からはロシア化政策が推進された。
近代の独立と激動
1917年のロシア革命を経て、1918年2月24日にエストニア共和国の独立が宣言された。その後の独立戦争を経てソ連や国際社会から独立が承認されたが、1930年代には権威主義体制へ移行した。

第二次世界大戦中の1940年には、独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づきソビエト連邦へ編入され、その後の独ソ戦では激しい戦禍に巻き込まれることになった。