歴史学
中世から近世における日本の身分呼称と社会構造の歴史

日本における中世から近世の身分制度における呼称や生業、歴史的変遷について、史料を基に客観的に解説します。
📌 主なポイント
- ✓「穢多」という表記の初見は13世紀の『天狗草紙』などの文献に見られる。
- ✓中世から近世にかけて、皮革加工や動物の死体処理などの生業に従事した人々が存在した。
- ✓1871年の身分解放令により、従来の身分呼称や職業の独占権が廃止された。
日本の中世から近世にかけての身分制度においては、動物の死体処理や皮革加工、その他の特定の生業に従事する人々に対する呼称や位置づけが存在した。これらは時代や地域によって多様な変遷をたどり、明治時代の身分解放令に至るまで独自の社会構造を形成していた。
呼称と歴史的背景
文献上の記録によると、古代から中世にかけて動物の解体や狩猟、肉食に関連する職業に従事する人々に対して様々な呼称が用いられた。『和名類聚抄』では「屠児」の訓として「恵止利(えとり)」が見られ、これが後に転じたとされる説がある。また、「穢多」という表記の初見は13世紀の『天狗草紙』などの文献に確認されている。

生業と社会的位置づけ
中世以降、京都などの都市周辺においては、河原などの居住地に住み、都市清掃や皮革加工などに従事する人々が見られた。戦国時代には皮革が鎧や馬具などの軍需物資として重要視されたため、東国の大名が西国から技術者を招き定住させる例もあった。

江戸時代に入ると、幕府や藩の統制のもとで生業や居住地が制度化された。斃牛馬の処理や皮革の製造・販売、下級官僚的な役務などが家業として位置づけられた地域もあった。一方で、地域による差が大きく、東日本では浅草の弾左衛門などの頭の下で組織化されるなど、その実態は一様ではなかった。

近代の変遷
明治時代に入ると、近代的な法体系の整備に伴い、1871年に身分解放令が公布され、従来の身分呼称や職業の独占権、死牛馬取得権などが廃止された。これにより従来の生業基盤が変化し、経済的な困難に直面する人々も現れた。
よくある質問
「穢多」という呼称はいつ頃から見られますか?
文献上では13世紀の『天狗草紙』などに「穢多」の表記が見られます。それ以前の時代にも関連する職業や呼称の記録が存在します。
主な生業は何でしたか?
斃牛馬の処理、皮革の加工および製品の製造、都市清掃などが主な生業として挙げられます。
身分呼称や制度はどのように廃止されましたか?
明治時代初期の1871年に身分解放令が公布され、従来の身分呼称や制度、特定の職業独占権が廃止されました。
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参考文献
奈良人権・部落解放研究所 編『日本歴史の中の被差別民』新人物往来社。
原田信男『歴史の中の米と肉』平凡社〈平凡社選書〉、1996年。
網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社〈講談社学術文庫〉、1998年。
原田信男『歴史の中の米と肉』平凡社〈平凡社選書〉、1996年。
網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社〈講談社学術文庫〉、1998年。