日本の歴史・法令

保安条例(明治時代の日本の法令)

保安条例(明治時代の日本の法令)
明治20年に制定された自由民権運動弾圧のための勅令「保安条例」の歴史、概要、主な適用事例を解説する歴史的解説記事。

📌 主なポイント

  • 保安条例は明治20年勅令第67号として1887年12月25日に公布・施行された。
  • 自由民権運動の弾圧を目的として制定され、皇居周囲3里からの退去命令などを規定した。
  • 1898年6月25日の保安条例廃止法律により廃止された。

保安条例(ほあんじょうれい、明治20年勅令第67号)は、1887年(明治20年)12月25日に制定・公布され、即日施行された日本の勅令である。全7条からなり、主として自由民権運動を抑圧・取締ることを目的として発令された歴史的な治安立法である。

日本国政府国章(準)
日本国政府国章(準)

制定の背景と概要

当時高まっていた自由民権運動や国会開設運動を抑制するため、内務省および司法省の所管のもとで制定された。集会や結社の制限を目的とした法制であり、特に第4条の規定によって、政府が治安妨害や内乱の恐れがあるとみなした人物に対し、皇居から3里(約11.8km)の範囲外への退去や、一定期間の出入り・居住の禁止を命じることが可能となった。

適用と影響

条例の公布直後、多数の自由民権派の活動家に対して東京からの退去命令が下された。退去を命じられた中には、尾崎行雄、星亨、中江兆民、片岡健吉などが含まれており、処分を受けた者の多くは土佐(高知県)出身者であったとされる。また、命令に従わずに退去を拒否した人物の一部は収監されるなど、当時の政治的対立において強力な弾圧手段として機能した。

廃止と後継法制

保安条例は、1898年(明治31年)6月25日に公布された「保安条例廃止法律」(明治31年法律第16号)によって廃止された。ただし、その規制機能の一部は「集会及政社法」へ引き継がれ、のちに労働運動などの規制機能を付加した「治安警察法」へと発展していった。

よくある質問

保安条例とはどのような法律ですか?
明治20年(1887年)に制定された、自由民権運動の取り締まりを主な目的とした全7条の勅令(明治20年勅令第67号)です。
保安条例はいつ廃止されましたか?
1898年(明治31年)6月25日に施行された「保安条例廃止法律」によって廃止されました。

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自由民権運動治安警察法明治維新内務省

参考文献

  • 憲政創設功勞者行賞に關する建議案(内藤魯一君提出)第25回帝国議会 衆議院 本会議 第12号 明治42年2月25日
  • 新聞集成明治編年史