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星玲子:昭和初期に活躍した女優・歌手

星玲子:昭和初期に活躍した女優・歌手
昭和初期に日活で活躍した女優・歌手、星玲子の経歴や出演作品について解説。宝塚歌劇出身の経歴や、マキノ光雄との結婚、戦前の映画界での活動を振り返ります。

📌 主なポイント

  • 1915年生まれ、2003年没(享年88歳)。
  • 宝塚歌劇団を経て1932年に日活へ入社し、映画デビュー。
  • 1935年にディック・ミネとのデュエット曲『二人は若い』がヒットした。
  • 映画プロデューサーのマキノ光雄と1935年に結婚した。

星玲子(ほし れいこ、1915年1月2日 - 2003年10月24日)は、昭和初期に活動した日本の女優、歌手である。本名は多田 琴子(ただ ことこ)。

星玲子の肖像
星玲子

経歴

1915年(大正4年)、東京市(現・東京都台東区)に生まれる。宝塚歌劇団での活動を経て、1932年(昭和7年)に日活へ入社。映画『大地に立つ』でデビューを果たした。その後、戦前の日活現代劇を中心に数多くの作品に出演し、人気を博した。

女優業と並行して歌手としても活動し、1935年(昭和10年)にはディック・ミネとデュエットした楽曲『二人は若い』や『ゆかりの唄』がヒットを記録した。同年、映画プロデューサーのマキノ光雄と結婚している。

映画『わたしがお嫁に行ったなら』の出演者たち
映画『わたしがお嫁に行ったなら』(1935年)。左から水久保澄子、黒田記代、逢初夢子、山路ふみ子、星玲子

1939年(昭和14年)、24歳で芸能界を引退。第二次世界大戦中は夫と共に満州へ渡り、戦後は東映の専務を務めた夫を支えた。1957年(昭和32年)に夫と死別。2003年(平成15年)10月24日、肺炎のため88歳で死去した。

主な出演作品

  • 『大地に立つ』(1932年)
  • 『のぞかれた花嫁』(1935年)
  • 『女の階級』(1936年)
  • 『東京ラプソディ』(1936年)
  • 『うちの女房にゃ髭がある』(1936年)
  • 『丹下左膳』シリーズ(1936年 - 1937年)
  • 『忠臣蔵 地の巻・天の巻』(1938年)

よくある質問

星玲子の本名は何ですか?
本名は多田 琴子(ただ ことこ)です。
星玲子はどのような経歴で芸能界に入りましたか?
宝塚歌劇団でダンサーとして活動した後、1932年に日活に入社して映画女優としてデビューしました。
星玲子の代表的な楽曲は何ですか?
1935年にディック・ミネと歌った『二人は若い』や『ゆかりの唄』が広く知られています。

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参考文献

  • 「星玲子」『新撰 芸能人物事典 明治~平成』コトバンク、2026年3月3日閲覧。
  • 「星玲子さん死去/元女優」四国新聞社、2023年6月21日閲覧。