日本の元号
宝徳:室町時代の元号(1449年-1452年)
宝徳(ほうとく)は、日本の室町時代に使用された元号の一つです。1449年から1452年までの期間を指し、後花園天皇の治世、足利義政が将軍を務めた時期にあたります。
📌 主なポイント
- ✓宝徳は1449年から1452年まで使用された日本の元号である。
- ✓出典は『旧唐書』の「朕宝三徳、曰慈倹謙」である。
- ✓宝徳3年に大和国で徳政一揆(宝徳の土一揆)が発生し、元興寺が焼失した。
宝徳(ほうとく)は、日本の元号の一つ。文安の後、享徳の前にあたり、1449年から1452年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇、室町幕府の将軍は足利義政であった。
改元
文安6年7月28日(ユリウス暦1449年8月16日)に改元が行われ、宝徳4年7月25日(ユリウス暦1452年8月10日)に享徳へ改元された。
由来
元号の出典は『旧唐書』の「朕宝三徳、曰慈倹謙」という一節に由来する。
宝徳期におきた出来事
宝徳年間には、文化的な発展と社会的な動乱の両面が見られた。
- 宝徳2年(1450年):細川勝元が龍安寺を創建した。
- 宝徳3年(1451年):安芸国沼田荘の国人らが一揆の証文(小早川本庄新庄一家中連判契約状)を交わした。同年10月には大和国で徳政一揆(宝徳の土一揆)が発生し、元興寺が焼亡する被害が出た。
主な人物の死去
- 宝徳元年(1449年)8月9日:正親町三条尹子(享年38歳)。正親町三条公雅の娘であり、室町幕府第6代将軍足利義教の継室であった。
- 宝徳3年(1451年)6月15日:小笠原持長(1396年生)。信濃守護として知られる。
よくある質問
宝徳の期間はいつからいつまでですか?
1449年から1452年までです。
宝徳の由来は何ですか?
『旧唐書』の「朕宝三徳、曰慈倹謙」という一節から採用されました。
宝徳期に起きた重要な出来事はありますか?
細川勝元による龍安寺の創建や、大和国での徳政一揆(宝徳の土一揆)が挙げられます。
関連記事
室町時代足利義政後花園天皇龍安寺徳政一揆
参考文献
- 『日本年号大辞典』
- 『旧唐書』