近代日本における普通選挙運動の展開と歴史的背景
📌 主なポイント
- ✓普選運動は、近代日本において制限選挙を廃止し、普通選挙の導入を求めて展開された政治運動である。
- ✓1897年に長野県松本市や東京で「普通選挙期成同盟会」が結成され、組織的な運動の端緒となった。
- ✓1925年(大正14年)3月に普通選挙法が成立し、満25歳以上のすべての男子国民に選挙権が付与された。
普選運動(ふせんうんどう)とは、近代日本において、納税額や性別による制限を撤廃し、すべての成人男子(のちに男女共同)による普通選挙の実現を求めた政治社会運動である。その端緒は明治時代中期の「普通選挙期成同盟会」の結成にさかのぼり、大正デモクラシー期に最高潮に達した後、1925年(大正14年)の普通選挙法制定によって結実した。
運動の背景と萌芽
1889年(明治22年)に発布された大日本帝国憲法と衆議院議員選挙法に基づき、帝国議会が成立した。しかし、初期の議会制民主主義における選挙権は、満25歳以上の男子であり、かつ一定額以上の直接国税を納める者に限定されていた。これにより、人口の一部しか政治参加が認められない制限選挙の体制が敷かれていた。
一方で、日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦といった相次ぐ対外戦争において、国防の義務は財産の多寡にかかわらず成人男子全体に課された。命をかけた国家への貢献が求められる一方で政治参加が認められないという矛盾は、国民の間で次第に不満を高める要因となった。さらに、1917年のロシア革命や、第一次世界大戦後の世界的な民主主義の潮流が、普通選挙の実現を急務の課題として浮上させた。
初期の組織化と議会への働きかけ
明治時代に入ると、普通選挙の導入を目指す具体的な動きが始まった。1897年(明治30年)、長野県松本市において中村太八郎らを中心に「普通選挙期成同盟会」が設立された。また、1899年(明治32年)には東京においても同名の組織が結成され、旧自由民権運動系の自由主義者や弁護士、新聞記者らが参加した。
これ以降、期成同盟会を中心とした勢力や社会主義者らは、たびたび帝国議会に対して普通選挙法案の提出や請願を行った。1900年代から1910年代にかけて、法案の提出や否決が繰り返されたほか、労働者団体や学生層を巻き込んだ演説会やデモ活動が徐々に活発化していった。
大正デモクラシーと運動の最高潮
大正時代に入ると、吉野作造が提唱した「民本主義」の影響により、普通選挙を求める声はさらに広がりを見せた。1918年(大正7年)の米騒動や第一次世界大戦の休戦を契機として、運動の主体は一部の知識人や都市のエリートから、労働者や学生、中間層へと大きく拡大した。
1919年(大正8年)以降、東京や大阪をはじめとする全国各地で大規模なデモや集会が頻発した。学生や労働組合、各種政治団体が連合して国会周辺へデモ行進を行い、普通選挙の即時実施を強く要求するようになった。これに対し、政府や保守派は警戒感を示しつつも、社会の根強い要求を無視できない状況へと追い込まれていった。
普通選挙法の成立
度重なる民衆運動の高まりや、野党による統一法案の提出、さらに政界の勢力図の変化を経て、ついに選挙法改正への道が開かれた。1924年(大正13年)の総選挙で野党勢力が勝利を収めた後、政府と与党の間で具体的な法案の調整が進められた。
1925年(大正14年)2月、枢密院との妥協が成立し、同年3月に衆議院および貴族院で修正可決された。これにより、満25歳以上のすべての帝国男子国民に選挙権を与える普通選挙法(改正衆議院議員選挙法)が成立した。翌1926年の地方議会選挙を経て、1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙が、日本において最初の普通選挙として実施された。
よくある質問
普選運動とはどのような運動ですか?
普通選挙法はいつ成立しましたか?
最初の普通選挙はいつ実施されましたか?
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参考文献
『続再夢紀事 第六』日本史籍協会、1922年
『第27回衆議院記事摘要』衆議院事務局、1911年