歴史

フサイン=マクマホン書簡:第一次世界大戦中の英アラブ交渉

第一次世界大戦中にメッカの太守フサインとイギリス駐エジプト高等弁務官マクマホンの間で交わされた書簡(フサイン=マクマホン書簡)の歴史的背景と内容を解説。

📌 主なポイント

  • フサイン=マクマホン書簡は、1915年から1916年にかけて交わされた一連の書簡である。
  • イギリスはアラブ反乱への協力を条件に、アラブ人の独立を支持することを約束した。
  • 書簡における「除外地域」の解釈を巡り、パレスチナの帰属が後の国際紛争の要因となった。

フサイン=マクマホン書簡(Hussein-McMahon Correspondence)は、第一次世界大戦中の1915年から1916年にかけて、メッカの太守フサイン・イブン・アリーと、イギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンの間で交わされた一連の書簡を指す。この書簡において、イギリスはオスマン帝国に対するアラブ人の反乱(アラブ反乱)への協力を条件に、戦後のアラブ人居住地域における独立を支持することを約束した。

歴史的背景

第一次世界大戦において、イギリスはオスマン帝国の弱体化と中東地域での影響力確保を目指していた。フサイン・イブン・アリーは、アラブ人の独立国家建設を悲願としており、イギリスの軍事支援と引き換えにオスマン帝国に対する蜂起を計画した。この交渉の結果、1916年にアラブ反乱が開始された。

書簡の内容とパレスチナの扱い

交渉の核心となったのは、1915年10月24日付のマクマホンの書簡である。この中でマクマホンは、アラブ人の独立を支持する姿勢を示したが、同時に「メルスィン県およびアレクサンドレッタ地区、およびシリアのうちダマスカス・ホムス・ハマー・アレッポの各地区より西の部分」を、フランスの権益を考慮して除外する条件を提示した。この「除外地域」の解釈をめぐり、パレスチナがアラブ人の独立支持範囲に含まれるか否かについて、長年歴史家の間で議論が続いている。

イギリスの外交政策と矛盾

この書簡は、後にイギリスが結んだ「サイクス・ピコ協定」(1916年、英仏による中東分割)や「バルフォア宣言」(1917年、パレスチナにおけるユダヤ人国家建設の支持)と並び、イギリスの「三枚舌外交」の象徴として批判されることが多い。特に、アラブ側はパレスチナが独立支持の範囲に含まれていたと主張した一方、イギリス側は除外されていたと解釈するなど、戦後のパレスチナ問題を巡る対立の火種となった。

よくある質問

フサイン=マクマホン書簡とは何ですか?
第一次世界大戦中に、メッカの太守フサインとイギリスの高等弁務官マクマホンの間で交わされた、アラブ人の独立支持を約束する書簡のやり取りです。
なぜ「三枚舌外交」と呼ばれるのですか?
イギリスがアラブ人への独立支持(フサイン=マクマホン書簡)、フランスとの領土分割(サイクス・ピコ協定)、ユダヤ人への国家建設支持(バルフォア宣言)という、互いに矛盾する可能性のある約束を同時に行ったためです。

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参考文献

  • Kedourie, Elie. In the Anglo-Arab Labyrinth: The McMahon-Husayn Correspondence and Its Interpretations. Cambridge University Press, 1976.
  • Fromkin, David. A Peace to End All Peace: The Fall of the Ottoman Empire and the Creation of the Modern Middle East. Henry Holt and Company, 1989.