揖保川:兵庫県南西部を流れる一級河川

📌 主なポイント
- ✓揖保川は兵庫県南西部を流れる全長約69.7kmの一級河川である。
- ✓宍粟市の藤無山を水源とし、播磨灘に注ぐ。
- ✓播磨五川の一つに数えられ、流域面積は加古川に次ぐ規模を持つ。
- ✓『播磨国風土記』に記された「粒丘」の伝説が地名の由来とされる。
揖保川(いぼがわ)は、兵庫県の南西部を流れる一級河川であり、一級水系揖保川の本流です。加古川、市川、夢前川、千種川と並び「播磨五川」の一つに数えられています。流域面積は播磨五川の中で加古川に次ぐ広さを持ち、地域の水資源や自然環境において重要な役割を果たしています。
地理
揖保川は、兵庫県宍粟市の藤無山(標高1,139m)に源を発し、南流します。たつの市を貫流し、姫路市余部区付近で中川を西に分流して三角州を形成した後、姫路市網干区で播磨灘に注ぎます。河川の全長は69.736kmです。なお、分流した中川は姫路市とたつの市の境界を成しています。
たつの市内の堤防の一部では、増水時に住居の畳を用いて護岸を嵩上げする「畳堤」という伝統的な治水対策が行われてきた地域があります。
名称の由来
「揖保」という名称は、揖保郡を流れる大河であることに由来します。『播磨国風土記』の伝承によれば、渡来神のアメノヒボコ(天日槍命)と播磨国の国神であるアシハラノシコオノミコト(伊和大神)の土地争奪の話が記されています。河口に到着した天日槍命が宿を求めた際、伊和大神が海の中を許可し、天日槍命が剣で海水をかき混ぜて島を作ったという伝説があります。その後、伊和大神が川を遡る途中で食事をした際に口から飯の粒がこぼれ、その丘が「粒丘(いいほのおか)」と呼ばれたことが地名の由来とされています。
また、下流部は古く「宇頭川(うずがわ)」とも呼ばれていました。これは激流で渦が多数発生したことに由来すると考えられています。
歴史
揖保川は古くから氾濫を繰り返す河川としても知られています。1892年(明治25年)7月の台風接近時には、龍野で観測史上最大級の流量を記録し、死者6名、浸水家屋1万戸を超える甚大な被害が発生しました。また、1976年(昭和51年)9月には台風17号による集中豪雨で地すべりが発生し、流出した土砂が河道を埋めるなどの被害が生じています。
生態系
揖保川は、源流から河口まで多様な環境を有しており、多くの貴重な生物が生息しています。上流部ではオオサンショウウオやスナヤツメ、中流部ではオヤニラミやグンバイトンボ、河口部ではハクセンシオマネキやエドハゼなどが確認されています。また、水生昆虫も豊富で、氷ノ山周辺の源流部では希少なトビケラ類の新種や未記載種も発見されています。
よくある質問
揖保川の源流はどこですか?
播磨五川とは何ですか?
揖保川の名前の由来は何ですか?
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参考文献
- 国土交通省水管理・国土保全局「日本の川 - 近畿 - 揖保川」
- 北原糸子・松浦律子・木村玲欧編『日本歴史災害事典』吉川弘文社、2012年。
- 兵庫県県土整備部土木局河川計画室『ひょうごの川自然環境アトラスWEB版 揖保川水系編』2009年。