歴史学者

市村瓚次郎:近代日本の東洋史学を築いた先駆者

市村瓚次郎:近代日本の東洋史学を築いた先駆者
近代日本の東洋史学の開拓者として知られる歴史学者、市村瓚次郎の経歴と業績を解説。東京帝国大学での教育や漢学の振興、新声社での活動などその生涯を辿る。

📌 主なポイント

  • ✓1864年、常陸国筑波郡(現・茨城県つくば市)生まれ。
  • ✓森鷗外らと新声社を結成し、翻訳詩集『於母影』の刊行に携わった。
  • ✓東京帝国大学教授として、白鳥庫吉と共に東洋史学の基礎を築いた。
  • ✓1933年から1935年まで國學院大學学長を務めた。
  • ✓収集した中国哲学資料「覚廬本」は東京大学附属図書館に収蔵されている。

市村瓚次郎(1864年9月9日 - 1947年2月23日)は、明治から昭和期にかけて活躍した日本の歴史学者、文学博士。日本の東洋史学における草創期の開拓者の一人として知られ、東京帝国大学名誉教授や國學院大學学長を歴任した。

市村瓚次郎の肖像
市村瓚次郎の肖像

経歴

常陸国筑波郡北条町(現・茨城県つくば市)に生まれる。1887年に帝国大学古典漢書科を卒業後、学習院の教員として教育の道に進んだ。1889年には森鷗外らとともに同人組織「新声社」を結成し、翻訳詩集『於母影』の刊行に関与したことは、日本近代詩の形成において重要な足跡となっている。

1898年より東京帝国大学文科大学助教授となり、1905年には教授に昇格。白鳥庫吉とともに、東京帝国大学における東洋史学の学問的基礎を確立した。1924年に同大学を退職し、翌年名誉教授となった。

その後は國學院大學や大東文化学院、立教大学などで教鞭を執り、1933年から1935年まで國學院大學の学長を務めた。1925年には帝国学士院会員に選出されている。

明仁親王誕生時の儀式における奉仕員
明仁親王誕生時の読書鳴弦の儀における奉仕員(左端が市村瓚次郎)

研究と業績

市村は東洋史研究の分野を開拓しただけでなく、明治天皇の皇女への漢学講義を行うなど、伝統的な漢学の維持・発展にも尽力した。また、中国で収集した哲学関係の資料26,000点は「覚廬本」として東京大学附属図書館に収蔵されており、学術的に高く評価されている。

よくある質問

市村瓚次郎の専門分野は何ですか?
専門は東洋史および中国史です。近代日本の東洋史学の開拓者として知られています。
『於母影』との関わりはどのようなものですか?
1889年に森鷗外らと結成した同人組織「新声社」のメンバーとして、翻訳詩集『於母影』の刊行に携わりました。
市村瓚次郎が収集した資料はどこにありますか?
中国で収集した哲学関係資料26,000点は「覚廬本」として、東京大学附属図書館に収蔵されています。

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東洋史学森鷗外白鳥庫吉國學院大學東京帝国大学

参考文献

  • 小学館「デジタル大辞泉」『市村瓚次郎』コトバンク
  • 日本学士院 物故会員一覧
  • 東京大学附属図書館 覚廬本コレクション紹介
  • 日本漢文の世界 市村瓚次郎解説