日本の歴史上の人物
池田仲博:明治から昭和にかけての華族・貴族院議員

明治から昭和にかけて活躍した華族、貴族院議員、陸軍軍人である池田仲博の生涯と実績について解説します。
📌 主なポイント
- ✓徳川慶喜の五男として1877年に生まれた。
- ✓旧鳥取藩主池田家の第16代当主であり、侯爵として貴族院議員を務めた。
- ✓皇太子行啓の宿泊施設として鳥取市に「仁風閣」を建設した。
池田 仲博(いけだ なかひろ、1877年〈明治10年〉8月28日 - 1948年〈昭和23年〉1月1日)は、明治から昭和にかけての華族(侯爵)、貴族院議員、陸軍軍人、地主であり、旧鳥取藩主池田家第16代当主である。
生涯
1877年8月28日、江戸幕府第15代征夷大将軍・徳川慶喜の五男として誕生した。幼名は博。その後、池田輝知の養女であった亨子と結婚し、1890年に池田侯爵家を継承した。初めは輝博と名乗っていたが、1894年に仲博へと改名した。
学習院を経て陸軍士官学校に進み、1898年に第10期として卒業。翌年には陸軍歩兵少尉に任官し、軍人としてのキャリアを歩んだが、1909年に予備役に編入された。

政治および社会的活動
1902年7月から貴族院議員(侯爵議員)を務め、議会では火曜人に所属して活動を行った。また、北海道十勝地方において大規模な農場経営に参画するなど、地主としての側面も持っていた。
1907年には、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓に際して宿泊施設となる「仁風閣」を鳥取城跡に建設した。文化的な面では俳句を嗜み、高浜虚子の指導を受けるなど多方面に足跡を残した。
第二次世界大戦後の1946年に貴族院議員を辞職し、同年公職追放となった。さらに1947年の華族制度廃止に伴い爵位を失い、1948年1月1日に逝去した。
よくある質問
池田仲博の父親は誰ですか?
江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜です。
池田仲博はどのような役職に就いていましたか?
貴族院議員(侯爵議員)や陸軍歩兵少尉などを務めました。
仁風閣とは何ですか?
1907年の皇太子嘉仁親王の山陰行啓の宿泊施設として、池田仲博が鳥取城跡に建てた別邸です。
関連記事
徳川慶喜貴族院仁風閣鳥取藩
参考文献
『農業風土人物誌 東京』同朋舎、1977年。
『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
『朝日年鑑』昭和22年版、朝日新聞社、1947年。
『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
『朝日年鑑』昭和22年版、朝日新聞社、1947年。