大相撲
稲妻雷五郎:江戸時代後期の第7代横綱と大相撲の黄金時代

江戸時代後期に活躍し、第7代横綱に登り詰めた大相撲力士・稲妻雷五郎の生涯、成績、数々の伝説的な逸話について詳しく解説します。
📌 主なポイント
- ✓常陸国河内郡阿波崎村出身の第7代横綱。
- ✓幕内勝率は90.9%を記録し、江戸時代後期の相撲界を牽引した。
- ✓相撲道の精神を示した『相撲訓』を著した。
稲妻 雷五郎(いなづま らいごろう、1795年? - 1877年3月29日)は、常陸国河内郡阿波崎村(現:茨城県稲敷市阿波崎)出身の江戸時代後期の大相撲力士。第7代横綱。本名は根本 才助(ねもと さいすけ)。生年には1798年説も存在する。

来歴
佐渡ヶ嶽部屋へ入門した後、錦嶋部屋へ移籍し、松江藩の抱え力士となった。1821年2月場所で「槇ノ嶌」の四股名で幕下(当時は番付上から二段目)から初土俵を踏む。1824年10月場所での新入幕と同時に「稲妻 雷五郎」へ改名し、その場所で好成績を収めると、翌1825年1月場所には小結へ昇進した。
その後も速いスピードで出世を重ね、1827年には大関へ昇進。阿武松緑之助とともに江戸時代後期の相撲黄金時代を築き上げた。1828年に五条家から、1829年には吉田司家からそれぞれ横綱免許を授与され、のちに吉田司家側との調整を経て正式な横綱となった。1831年から1835年にかけて33連勝を記録し、幕内勝率は歴代上位の高水準を誇るなど、雷電爲右エ門以降の第一人者として称賛された。
人物と文化的な業績
力士としての実績に加え、俳句をたしなむ風流人としても知られ、「すずしさや 四股ふんで呑む 力水」などの句を遺している。また、1825年頃に著したとされる『相撲訓』は、相撲道の精神や心構えを説いた名文として相撲歴史研究において広く知られている。
現役引退後は雲州相撲の頭取を務めた。明治維新後は東京に戻り、1877年(明治10年)3月29日に82歳で死去した。墓所は東京都渋谷区神宮前の妙円寺にある。
主な成績
- 幕内在位:25場所
- 幕内通算成績:130勝13敗14分3預1無73休(勝率 .909)
- 優勝相当成績:10回
よくある質問
稲妻雷五郎の最高位は何ですか?
第7代横綱です。
稲妻雷五郎の本名は何ですか?
根本才助です。
稲妻雷五郎の墓所はどこにありますか?
東京都渋谷区神宮前の妙円寺にあります。
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横綱雷電爲右エ門阿武松緑之助大相撲歴史
参考文献
- 池田雅雄「歴代横綱正伝⑰」(「相撲」ベースボールマガジン社、1972年5月)
- 東京ふる里文庫11 東京にふる里をつくる会編 『渋谷区の歴史』 名著出版、1978年。
- 「芸文風土記 稲妻雷五郎、稲光る」『常陽芸文』第273号、2006年。