日本の野球選手
石田光彦:戦前プロ野球で活躍した変則投法の投手
石田光彦(1915-1980)は、戦前の日本プロ野球で活躍した投手。阪急軍などでプレーし、ノーヒットノーランを2度達成。打者を惑わせる多彩な変則投法で知られた。
📌 主なポイント
- ✓1915年山口県生まれ、1980年没。
- ✓阪急軍、南海軍、大和軍、ゴールドスターでプレーした。
- ✓ノーヒットノーランを史上3人目として2度達成した。
- ✓打者を惑わせる独特の投球スタイルは「チャップリン投法」と評された。
石田 光彦(いしだ みつひこ、1915年10月25日 - 1980年)は、山口県出身のプロ野球選手(投手)。1930年代から1940年代にかけて、阪急軍や南海軍などで活躍した。打者を幻惑する多彩な変則投法を駆使したことで知られ、千葉茂からは「チャップリン投法」と評された。
経歴
軟式野球の東京リーガル倶楽部を経て、阪急軍の入団テストに合格しプロ入りした。1936年から阪急軍でプレーし、1941年に南海軍へ移籍。その後、大和軍を経て、1946年にはゴールドスターでプレーした。1946年を最後にプロ野球界から引退したが、1948年には都市対抗野球大会に山藤クラブの投手として出場している。
投球スタイル
石田は打者のタイミングを外すための独特な投球動作を数多く取り入れていた。そのスタイルは非常に個性的であり、以下のような動作が記録されている。
- 投球前に胸の前で十字を切る動作。
- 投球ごとにリリース角度を変える。
- ワインドアップから打者に背中を向ける動作(元祖トルネード投法とも称される)。
- 投球動作の途中で打者から目を切る、あるいは投球を止める。
- スコアボードやスタンドを凝視し、なかなか投球動作に入らない。
これらの動作は球威を増すためではなく、あくまで打者を惑わせることを目的としていたとされる。
主な記録
石田はプロ野球史上3人目となるノーヒットノーランを2度達成している。
- 1937年7月16日:対東京セネタース戦(洲崎球場)
- 1940年8月22日:対ライオン戦(大連満倶球場)
また、1943年5月2日の試合では、イニング最多連続与四球(5)という記録も残している。
よくある質問
石田光彦の投球スタイルはどのようなものですか?
打者を惑わせるための変則的な動作を多用しました。十字を切る、投球ごとにリリース角度を変える、打者に背中を向けるなど、非常に個性的なスタイルで「チャップリン投法」と呼ばれました。
ノーヒットノーランは何回達成しましたか?
1937年と1940年の計2回達成しています。これは日本プロ野球史上3人目の記録です。
どの球団に所属していましたか?
阪急軍、南海軍、大和軍、ゴールドスターに所属していました。
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参考文献
- プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、43ページ
- 週刊ベースボールONLINE「プロ野球仰天伝説149 打者をおちょくりながら投げたチャップリン投法の石田光彦」(2018年5月21日)
- ベースボール・マガジン社『永久保存版 阪急ブレーブス黄金の歴史 1936→1988 よみがえる勇者の記憶』(2011年)p.35
- 永井正義『勇者たち 人物阪急球団史』(1978年、現代企画室)pp.17-18