日本の歴史

五日市憲法草案

明治時代初期の自由民権運動の中で作成された私擬憲法「五日市憲法草案」の歴史的背景、内容、発見の経緯について解説します。

📌 主なポイント

  • 1968年に東京都あきる野市の深沢家で発見された私擬憲法である。
  • 自由民権運動の活動家である千葉卓三郎が中心となって起草された。
  • 全204条からなり、先進的な人権保障規定と強力な天皇大権の規定が混在している。
  • 東京都の有形文化財(古文書)に指定されている。

五日市憲法草案(いつかいちけんぽうそうあん)は、明治時代初期の自由民権運動の過程で、民間によって作成された私擬憲法の一つである。正式な題名は「日本帝国憲法」とされている。

発見の経緯

1968年(昭和43年)、東京経済大学の色川大吉ゼミナールに所属していた新井勝紘が、東京都西多摩郡五日市町(現:あきる野市)の深沢家に伝わる古文書の中から発見した。この発見により、当時の地方における民権思想の成熟ぶりが明らかとなり、歴史学的に大きな注目を集めた。

歴史的背景

1874年(明治7年)の「民撰議院設立建白書」提出以降、自由民権運動は全国的に拡大した。1880年(明治13年)に結成された国会期成同盟は、各結社に対して憲法草案の作成を推奨した。これを受け、五日市学芸講談会のメンバーであった千葉卓三郎らが中心となり、1881年(明治14年)に本草案が起草された。

内容と特徴

本草案は全204条から構成されている。当時の草案としては極めて先進的な人権規定が盛り込まれており、国民の権利自由の保障、平等権、出版・表現の自由、信教の自由、結社・集会の自由などが明記されている。また、義務教育や自治権の不可侵についても言及がある。

一方で、天皇大権に関する規定も存在し、議会よりも強い権限が天皇に与えられている。具体的には、条約締結権や議会に対する拒否権、司法権への介入を可能とする条項が含まれており、人権保障の先進性と政治機構の保守性が同居している点が特徴である。このため、研究者の間では「進んだ人権保障、遅れた政治機構」という評価がなされることもある。

文化財としての指定

現在、この草案は東京都の有形文化財(古文書)に指定されている。また、発見場所である深沢家屋敷跡は史跡に指定されており、草案の原本はあきる野市の中央図書館に保管されている。

よくある質問

五日市憲法草案は誰が書いたものですか?
五日市学芸講談会のメンバーであった千葉卓三郎が中心となって起草したとされています。
なぜ「五日市憲法」と呼ばれるのですか?
当時の神奈川県五日市町(現在の東京都あきる野市)の深沢家の土蔵から発見されたことに由来します。
どのような内容が盛り込まれていますか?
国民の権利自由の保障や平等権、表現の自由などが明記されている一方で、天皇に強い権限を与える条項も含まれています。

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参考文献

  • あきる野市デジタルアーカイブ「日本帝国憲法」
  • 産経ニュース「明治憲法、授業で歪曲か 日教組集会で実践例」(2022年1月29日)