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日独伊三国同盟における軍事協力の実態と限界

📌 主なポイント
- ✓日独伊三国同盟における相互援助義務は、原則として締約国以外の国から攻撃を受けた場合に生じるものとされていた。
- ✓1942年のセイロン沖海戦後、日本海軍とドイツ・イタリア海軍はインド洋において潜水艦等による通商破壊戦を実施した。
- ✓イタリア軍の輸送機SM.75 GA RTが1942年6月から7月にかけて日本占領下の包頭へ飛行し、連絡飛行を完遂した。
- ✓1943年9月のイタリア降伏に伴い、東南アジアに展開していたイタリア海軍の艦艇や基地は接収された。
日独伊三国同盟は第二次世界大戦中、日・独・伊の枢軸国間で結ばれた同盟関係である。条文上の相互援助義務には条件があったものの、1941年の太平洋戦争開戦以降、独自に協定や共同作戦が模索された。しかし、戦略的協議の不足や地理的な隔たりから、統一された行動を取ることは難しかった。
同盟成立後の動向
1941年12月の開戦後、日独伊の間では単独不講和協定や新軍事協定が締結された。一方で連合国側とは異なり、枢軸国間では対ソ連・対アメリカ戦における事前の情報共有や戦略的協議がほとんど行われなかった。
インド洋における共同作戦
日本とドイツ、イタリアの間で数少ない軍事協力が行われたのが、インド洋における海軍の作戦行動である。

1942年4月のセイロン沖海戦の後、日本海軍の潜水艦や仮装巡洋艦がインド洋へ派遣された。ドイツ海軍からも「ウッカーマルク」をはじめとする封鎖突破船や潜水艦がペナンやシンガポールを拠点に派遣され、通商破壊戦が行われた。

イタリア海軍も極東への艦艇派遣やシンガポールへの基地設置を行い、「コマンダンテ・カッペリーニ」などの潜水艦を東南アジアへ送り込んだ。

遣独潜水艦作戦と連絡飛行
1942年以降、日本海軍の伊号第三十潜水艦などがインド洋を経由してヨーロッパへ派遣される「遣独潜水艦作戦」が実施された。また、イタリア空軍は大型輸送機サヴォイア・マルケッティ SM.75 GA RTを用いて日本占領下の内モンゴル・包頭への長距離連絡飛行を成功させた。

しかし、1943年9月のイタリア降伏により、イタリア海軍の資産や潜水艦は日本軍やドイツ軍に接収され、三国の共同作戦は事実上の終焉を迎えた。
よくある質問
日独伊三国同盟における軍事協力はどのように行われましたか?
主にインド洋を中心とした海軍の潜水艦による通商破壊戦や、ドイツ・イタリアの潜水艦や封鎖突破船の東南アジアへの派遣、日本潜水艦のヨーロッパ派遣(遣独潜水艦作戦)などが行われました。
日伊間の連絡飛行はどのように実施されましたか?
イタリア軍の大型輸送機サヴォイア・マルケッティ SM.75 GA RTが、ソビエト連邦上空を避け、中央アジアやモンゴル上空を経由して1942年6月に日本占領下の包頭へ到着し、往復飛行を完遂しました。
イタリアの降伏は三国間の作戦にどのような影響を与えましたか?
1943年9月8日のイタリア降伏により、シンガポールなどにあったイタリア海軍の工作船や海防艦は日本軍に接収され、潜水艦はドイツ海軍に引き継がれ、三国の共同作戦は終了しました。