ジョン・プロヒューモ:イギリスの政治家と歴史的スキャンダル

📌 主なポイント
- ✓ジョン・プロヒューモは1915年にロンドンで生まれ、オックスフォード大学で学んだ。
- ✓1960年にマクミラン内閣の陸軍大臣に就任した。
- ✓1963年のプロヒューモ事件により、虚偽答責の責任を取って大臣および議員を辞任した。
- ✓引退後はトインビー・ホールなどの社会福祉活動に尽力し、1975年に大英帝国勲章を受章した。
ジョン・デニス・ジャック・プロヒューモ(John Dennis "Jack" Profumo CBE, 1915年1月30日 - 2006年3月9日)は、イギリスの政治家。保守党所属の下院議員として頭角を現し、外務省政務次官や陸軍大臣などの政府要職を歴任したが、1963年に発覚した「プロヒューモ事件」により政界を引退した。
生い立ちと軍歴
ロンドンのケンジントンに生まれたプロヒューモは、ハロウスクールを経てオックスフォード大学ブレーズノーズ・カレッジで学んだ。1939年に陸軍に入隊し、第二次世界大戦中には軍務に就いた。戦後には連合国軍最高司令官総司令部英国連絡事務所長の参謀長として東京に赴任した経験を持つ。
政治経歴
1940年3月の補欠選挙で保守党から出馬して下院議員に初当選を果たした。戦後の政治活動を経て、1950年の総選挙でストラトフォード・アポン・エイボン選挙区から選出された。その後、民間航空省や植民地省、外務省の政務次官を歴任し、1960年7月にはハロルド・マクミラン内閣のもとで陸軍大臣に就任した。私生活では1954年に女優のヴァレリー・ホブソンと結婚している。

プロヒューモ事件
1961年、パーティーの席で高級売春婦のクリスティーン・キーラーと出会い、一時的に関係を持った。当初は私人間の問題として扱われていたが、1962年末の事件を契機にマスコミの調査が入り、キーラーがソビエト連邦の海軍武官エフゲニー・イワノフとも同時に関係を持っていたことが報じられた。これにより、国家安全保障上の機密漏洩の懸念へと発展した。
プロヒューモは当初、下院において不品行な関係を否定していたが、のちにその発言が虚偽であったことを認め、1963年6月に陸軍大臣および下院議員を辞任した。このスキャンダルはマクミラン政権に大きな打撃を与えた。
晩年と社会貢献
政界引退後のプロヒューモは、ロンドンの福祉施設「トインビー・ホール」の支援をはじめとする社会福祉活動に身を捧げた。長年の奉仕活動の功績が認められ、1975年には大英帝国勲章(CBE)を授与された。晩年には公の場にも再び姿を現すようになり、2006年に91歳で死去した。
よくある質問
ジョン・プロヒューモとはどのような人物ですか?
プロヒューモ事件とは何ですか?
政界引退後はどのように過ごしましたか?
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参考文献
- The Guardian: The Profumo Affair
- Spartacus Educational