日本の元号

承久:鎌倉時代の元号

承久は、日本の元号の一つで、1219年から1222年までの期間を指します。承久の乱が発生した歴史的に重要な時期について解説します。

📌 主なポイント

  • 承久は1219年から1222年まで使用された日本の元号である。
  • 1221年に承久の乱が発生し、鎌倉幕府と朝廷の対立が頂点に達した。
  • 承久の乱の結果、仲恭天皇が廃位され、後堀河天皇が即位した。
  • 元号の出典は『詩緯』の一節である。

承久(じょうきゅう)は、日本の元号の一つです。建保の後、貞応の前にあたり、西暦1219年から1222年までの期間を指します。この時代は、鎌倉幕府と朝廷の対立が決定的な局面を迎えた時期として知られています。

改元

建保7年4月12日(ユリウス暦1219年5月27日)、旱魃や三合の災異を理由として改元が行われました。出典は『詩緯』の「周起自后稷、歴世相承久」という一節に基づいています。その後、承久4年4月13日(ユリウス暦1222年5月25日)に貞応へと改元されました。

承久期の主要な出来事

この時代を象徴する最大の出来事は、1221年(承久3年)に発生した承久の乱です。後鳥羽上皇が鎌倉幕府の執権・北条義時に対して討幕の兵を挙げましたが、幕府軍によって短期間で鎮圧されました。この乱の結果、朝廷の権威は大きく低下し、幕府の支配体制が確立されることとなりました。

また、皇室においても大きな変動がありました。1221年4月には順徳天皇が仲恭天皇に譲位しましたが、乱の終結後、幕府の意向により仲恭天皇は廃位され、後堀河天皇が即位する事態となりました。

よくある質問

承久の期間はいつからいつまでですか?
西暦1219年から1222年までの期間です。
承久の乱とは何ですか?
1221年に後鳥羽上皇が鎌倉幕府の北条義時に対して起こした討幕運動ですが、幕府軍によって鎮圧されました。
承久の元号の由来は何ですか?
『詩緯』にある「周起自后稷、歴世相承久」という一節から採られています。

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参考文献

  • 『百錬抄』
  • 『詩緯』