旧日本海軍の高等教育機関:大日本帝国海軍大学校の歴史と教育

📌 主なポイント
- ✓海軍大学校は1888年8月28日に東京・築地で開校した。
- ✓イギリス海軍の軍事顧問ジョン・イングルスらが初期のカリキュラム構築を支援した。
- ✓1945年5月の第3次東京大空襲で被災し、敗戦後に廃止された。
海軍大学校(かいぐんだいがっこう)は、かつて存在した大日本帝国海軍の上級将校教育機関である。略称は海大。日本陸軍における陸軍大学校や、現在の海上自衛隊における海上自衛隊幹部学校に相当する位置づけにあった。

沿革と移転の歴史
1888年(明治21年)7月14日に勅令第55号をもって海軍大学校官制が制定され、同年8月28日に東京・築地の旧海軍兵学校生徒館において開校した。初代校長には海軍省軍務局長の井上良馨が兼任し、同年11月26日より授業が開始された。
その後、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災により被災したが、同年12月末には応急仮校舎の大部分が竣工した。さらに1932年(昭和7年)8月27日には東京・上大崎の元陸軍衛生材料廠跡へ移転し、同年9月1日より新校舎での授業が再開された。新校舎は庁舎を中心に兵棋演習場や科学実験場などを備えた大規模な施設であった。
長年にわたり教育に携わった坂本俊篤は、その功績から「海大の父」と称された。
イギリスとの関係とカリキュラム
日本海軍の近代化および西洋化に伴い、イギリス海軍から軍事顧問が派遣され、海大のカリキュラム開発が支援された。特に1887年から1893年まで同校で講義を行ったジョン・イングルスは著名であり、西洋の戦闘術だけでなく数学、物理学、蒸気軍艦の運航技術などを指導し、指揮官の重要性を説いた。
廃止と戦後の変遷
大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)末期の1945年(昭和20年)5月、第3次東京大空襲によって被災し機能を失った。同年、日本の敗戦に伴う陸海軍省の解体とともに廃止された。
戦後、跡地や建物は厚生省に引き継がれ、国立予防衛生研究所(現在の国立健康危機管理研究機構国立感染症研究所)などが使用した。建物自体は1992年に研究所が移転した後も残っていたが、1999年に取り壊され、跡地には集合住宅が建設された。また、旧蔵書の一部は約8000冊が広島県呉市の海上保安大学校図書館に「旧海軍大学校図書」として保存されている。