旧日本海軍の軍政機関:海軍省の歴史と組織

📌 主なポイント
- ✓海軍省は1872年(明治5年)2月28日に兵部省から独立して設置された。
- ✓旧日本海軍の軍政を担当し、作戦を司る軍令部とは組織上分化していた。
- ✓庁舎はジョサイア・コンドルの設計により1894年(明治27年)に霞が関で完成した。
- ✓1945年(昭和20年)11月に廃止され、第二復員省へ移行した。
海軍省(かいぐんしょう)は、かつて存在した日本の中央官庁の一つであり、旧日本海軍の軍政全般を管轄した機関である。最高司令官である天皇に直属して作戦・用兵を担当した軍令部とは区別され、人事、経理、備品調達、教育などの行政事務を担当した。
沿革と組織の変遷
1872年4月5日(明治5年2月28日)、太政官布告第62号に基づき、それまでの兵部省が分割されて陸軍省とともに独立した形で設置された。初期においては軍政と軍令の区分が明確ではない部分もあったが、その後の法令整備に伴い、軍令事項は参謀本部およびのちの海軍軍令部へと移管されていった。
海軍省の長は海軍大臣であり、天皇によって任命された。海軍大臣は海軍軍人の監督や軍政全般の管理責任を負う一方で、直接的な軍令権は有していなかった。また、時期によって海軍大臣の補任資格には変遷があり、1900年の官制改正以降は現役の将官であることが求められたが、1913年に一度その制限が緩和され、1936年の二・二六事件以後に再び現役武官制へと戻された。
庁舎の建築と消滅
海軍省の庁舎は東京市麹町区霞が関(現在の東京都千代田区霞が関)に置かれた。イギリス人建築家のジョサイア・コンドルの設計により1894年(明治27年)に竣工した煉瓦造りの重厚な建物であり、構内には海軍に功績のあった西郷従道らの銅像も建てられていた。終戦後に建物は順次解体され、1985年に完全に撤去された。現在は中央合同庁舎第5号館が建っており、敷地内には海軍省・軍令部の碑が残されている。
第二次世界大戦敗戦後の1945年11月30日、勅令第680号により海軍省は廃止され、残務処理を行うため第二復員省へと改組された。第二復員省はその後、復員庁や厚生省の部局へと変遷し、最終的にその業務や資料の一部は厚生労働省や防衛省防衛研究所などに引き継がれている。
よくある質問
海軍省はいつ設置されましたか?
海軍省と軍令部の違いは何ですか?
海軍省の建物はどこにありましたか?
海軍省はどのようにして廃止されましたか?
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参考文献
内閣官報局「兵部省ヲ廃シ陸海軍両省ヲ置ク 明治5年2月28日 太政官第62号(布)」『法令全書』明治5年、1889年。
鈴木博之・初田亨編『図面でみる都市建築の明治』柏書房、1990年。