明治4年の身分解放令

📌 主なポイント
- ✓1871年10月12日(明治4年8月28日)に公布された。
- ✓「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」という太政官布告が正式な名称である。
- ✓法的には身分呼称の廃止と職業選択の自由を認めるものであったが、社会的な差別はその後も続いた。
解放令(かいほうれい)は、1871年10月12日(明治4年8月28日)に明治政府が公布した太政官布告「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」の通称である。この布告により、江戸時代に存在した「穢多」「非人」といった身分呼称が廃止され、職業選択や居住の自由が法的に認められた。

制定の背景
明治政府による身分制度の撤廃は、近代国家建設に向けた「四民平等」の理念に基づく政策の一環として位置づけられている。制定の経緯については、当時の政府内でも議論があった。渋沢栄一ら民部省改正掛の官僚は、戸籍編成の効率化や人権確立の観点から早期の身分廃止を検討していた。一方で、大木喬任らは生活改善と並行した漸進的な改革を主張した。
最終的にこの布告が公布された背景には、地租改正に向けた税制の統一や、欧米列強からの身分制度廃止への圧力があったとされる。これにより、それまで無税扱いとなっていた被差別身分の所有地からも地租を徴収する法的根拠が整えられた。
公布後の影響
解放令の公布は法的な身分撤廃を意味したが、社会的な差別が直ちに解消されたわけではなかった。公布直後には、旧被差別身分層の平民化に反発する住民による「解放令反対一揆」が各地で発生した。また、政府による実質的な生活支援策が伴わなかったことから、経済的な困窮を深める地域も存在した。さらに、壬申戸籍において「新平民」といった呼称が記載されるなど、差別的な扱いは制度の枠外で継続した。
近年の研究と解釈
近年の歴史学においては、解放令の意義について多角的な分析が行われている。かつては「解放令空手形論」として、生活保障を伴わない無意味な政策であると批判されることが多かった。しかし、研究者の灘本昌久らは、当時の部落経済が皮革産業などを通じて比較的安定していた点を指摘し、明治期に部落が貧困化した主要因は、差別そのものよりも松方デフレによる産業構造の激変にあるとする説を提示している。
よくある質問
解放令の正式名称は何ですか?
なぜ解放令が制定されたのですか?
解放令によって差別はすぐになくなりましたか?
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参考文献
『高校日本史A 新訂版』実教出版、平成30年1月。
人権ライブラリー「人権ライブラリー」https://www.jinken-library.jp/database/column/entry/10252/index.php(2025年2月12日閲覧)