日本の教育史
開成学校の歴史と東京大学への系譜

明治初期に東京府に設立された文部省管轄の洋学研究・教育機関である開成学校の歴史、沿革、東京大学や東京外国語大学への系譜について解説します。
📌 主なポイント
- ✓開成学校の源流は江戸幕府が設立した蕃書調所および開成所である。
- ✓明治初期の組織改編を経て、大学南校から東京開成学校へと名称が変わった。
- ✓1877年に東京医学校と統合されて(旧)東京大学が発足し、法理文三学部の母体となった。
開成学校(かいせいがっこう)は、明治時代初期に東京府に設立された文部省管轄の洋学研究・教育機関であり、当時の高等教育機関の一つです。その源流は江戸幕府が設置した蕃書調所にあり、明治維新を経て東京大学および東京外国語大学の直接の前身の一つとなりました。

沿革と組織の変遷
開成学校の歴史は、明治初期の官立機関としての変遷によって、初期開成学校と後期開成学校に大別されます。源流である江戸幕府の「開成所」は、明治維新に伴う江戸開城により一時閉鎖されましたが、明治新政府によって接収され、1868年(明治1年)9月に「開成学校」として復興しました。
その後、大学校の分局を経て「大学南校」へと改編され、明治5年(1872年)の学制頒布に伴う改編を経て、1873年(明治6年)に再び「開成学校」(のちに東京開成学校)と称されるようになりました。語学課程の分離独立などを経て、1877年(明治10年)に東京医学校と統合され、(旧)東京大学が発足することになります。

校地と後身への影響
かつての開成学校は神田一ツ橋(現在の神田錦町)に校地を置いていました。この地は、湯島にあった大学本校の南に位置したことが「大学南校」の名称の由来となっています。現在、神田錦町の跡地には「東京大学発祥の地」の碑が建てられています。1877年の東京大学発足後、法理文三学部の母体となり、その後の日本の高等教育の発展に大きな足跡を残しました。
よくある質問
開成学校の直接の前身は何ですか?
江戸幕府が設置した蕃書調所を前身とし、のちに改称された開成所が直接の前身です。
開成学校は現在のどの大学につながっていますか?
東京大学や東京外国語大学の直接の前身機関の一つと見なされています。
開成学校の所在地はどこにありましたか?
東京府の神田一ツ橋(現在の東京都千代田区神田錦町)にありました。
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参考文献
- 寺崎昌男『東京大学の歴史:大学制度の先駆け』講談社学術文庫、2007年。
- 天野郁夫『大学の誕生(上):帝国大学の時代』中公新書、2009年。