日本の元号
嘉慶 (日本)
嘉慶(かきょう)は、日本の南北朝時代、北朝で使用された元号。1387年から1389年までの期間を指す。
📌 主なポイント
- ✓嘉慶は日本の南北朝時代、北朝で使用された元号である。
- ✓期間は1387年から1389年までである。
- ✓改元の理由は当時の疫病流行によるものである。
- ✓出典は『毛詩正義』の一節である。
嘉慶(かきょう)は、日本の南北朝時代に使用された元号の一つである。北朝方において、至徳の後、康応の前にあたる期間に使用された。対象期間は1387年から1389年までである。
概要
北朝の元号として、至徳4年8月23日(ユリウス暦1387年10月5日)に疫病の流行を理由として改元が行われた。その後、嘉慶3年2月9日(ユリウス暦1389年3月7日)に康応へと改元された。この時期の北朝天皇は後小松天皇であり、室町幕府の将軍は足利義満であった。なお、当時の南朝では元中という元号が使用されていた。
出典
元号の由来は、中国の儒教経典『毛詩正義』の一節「将有嘉慶、禎祥先来見也」に基づいている。
嘉慶期の主な出来事
嘉慶年間には、室町幕府の権勢が安定に向かう中でいくつかの重要な出来事があった。
- 1387年(嘉慶元年):九州探題である今川貞世(了俊)が、倭寇によって誘拐された俘虜を返還する外交的措置をとった。
- 1387年(嘉慶元年):将軍・足利義満が富士山への遊覧を行った。
死去した著名人
嘉慶年間には、当時の文化や政治に影響を与えた人物が複数没している。
- 義堂周信(禅僧、享年64)
- 春屋妙葩(禅僧、享年77)
- 二条良基(公卿、享年69)
よくある質問
嘉慶の元号はいつからいつまで使用されましたか?
1387年から1389年まで使用されました。
嘉慶に改元された理由は何ですか?
当時の疫病の流行を理由として改元が行われました。
嘉慶の出典は何ですか?
中国の経典『毛詩正義』の「将有嘉慶、禎祥先来見也」という一節が由来です。
関連記事
南北朝時代 (日本)北朝 (日本)足利義満後小松天皇
参考文献
- 『日本年号事典』
- 『毛詩正義』