日本の元号
日本元号「寛喜」の歴史と概要
日本の元号の一つである「寛喜(かんぎ)」についての歴史、改元の背景、寛喜の飢饉や関連する出来事について解説する百科事典記事。
📌 主なポイント
- ✓寛喜は日本の元号の一つで、1229年から1232年までの期間に用いられた。
- ✓元号の典拠は『後魏書』にある記述とされる。
- ✓寛喜年間には寒冷による大凶作(寛喜の飢饉)が発生し、難破船の略奪を禁止する法令などが発出された。
寛喜(かんぎ、かんき、旧字体: 寛󠄁喜)は、日本の元号の一つである。安貞の後、貞永の前であり、1229年から1232年までの期間を指す。この時代の天皇は後堀河天皇、鎌倉幕府の将軍は藤原頼経、執権は北条泰時であった。
改元の背景
安貞3年3月5日(ユリウス暦1229年3月31日)、相次ぐ天災や飢饉のため改元が行われた。その後、寛喜4年4月2日(ユリウス暦1232年4月23日)に貞永へと改元されている。元号の典拠は、中国の書物である『後魏書』の記述「仁興二温泉一寛興二喜楽一」に基づく。
寛喜期におきた出来事
寛喜年間には、歴史的に重要な出来事や法令の制定が見られた。
- 寛喜の飢饉:寒冷による大凶作が発生し、これに際して鎌倉幕府が徳政を行った。
- 海路往反の船の事:寛喜元年6月6日、各地の地頭たちが慣行として行っていた難破船の略奪を禁止する法令が幕府から出された。
- 土御門上皇の崩御:寛喜元年10月11日、出家していた土御門上皇が阿波国で崩御した。
よくある質問
寛喜とはいつの時代の元号ですか?
1229年から1232年までの鎌倉時代中期にあたる期間の元号です。
寛喜に改元された理由は何ですか?
天災や飢饉が相次いだため、安貞3年3月5日に改元が行われました。
寛喜の元号の典拠は何ですか?
中国の『後魏書』にある記述が典拠とされています。
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安貞貞永後堀河天皇北条泰時
参考文献
『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』、2020年10月発行、繁田信一、文藝春秋、162頁