日本近代史

韓国統監府の歴史と組織構造

韓国統監府の歴史と組織構造
第二次日韓協約に基づき大韓帝国の外交権を掌握するため設置された韓国統監府の歴史、組織、歴代統監について解説する歴史的解説記事。

📌 主なポイント

  • 韓国統監府は第二次日韓協約に基づいて明治38年(1905年)11月23日に設置された。
  • 初代韓国統監には伊藤博文が就任し、文官でありながら韓国守備軍の指揮権を有した。
  • 明治43年(1910年)8月の韓国併合後、統監府は朝鮮総督府へと改組された。

韓国統監府(かんこくとうかんふ)は、第二次日韓協約に基づいて大韓帝国の外交権を掌握した大日本帝国が、漢城(現・ソウル特別市)に設置した官庁である。正式名称は「統監府」であった。

統監府に関連する歴史的資料の図版
統監府に関連する歴史的資料の図版

明治38年(1905年)11月23日の「韓国ニ統監府及理事庁ヲ置クノ件」(明治38年勅令第240号)に基づいて設置され、事務の開始は明治39年(1906年)2月1日であった。その後、明治43年(1910年)8月29日の韓国併合に伴い朝鮮総督府へ改組されるまで存続した。

統監府庁舎の外観写真
統監府庁舎

組織と地方機関

明治40年(1907年)時点における統監府の内部部局には、総務部、農商工務部、警務部、外務部、法制審査会が置かれた。また、所属官庁として通信官署、鉄道管理局、法務院、財政監査庁、観測所が設置された。

地方機関としては、韓国内の7か所に「理事廳」が置かれた。設置された場所は京城、仁川、釜山、元山、鎮南浦、木浦、馬山であり、それぞれ理事官が配置されて地域の行政や警察事務などを管掌した。

歴代統監と軍事指揮権

統監府の長である統監には以下の人物が就任した。

  • 初代:伊藤博文(1905年12月21日就任)
  • 初代統監の伊藤博文の肖像
    初代・伊藤博文1905年12月21日就任
  • 2代:曽禰荒助(1909年6月14日就任)
  • 2代統監の曽禰荒助の肖像
    2代・曽禰荒助1909年6月14日就任
  • 3代:寺内正毅(1910年5月30日就任、本務は陸相)
  • 3代統監の寺内正毅の肖像
    3代・寺内正毅1910年5月30日就任(兼任)、本務陸相

韓国統監は、韓国に駐剳する軍(韓国守備軍)の司令官に対する指揮権を有していた。初代に就任した伊藤博文は文官であったが、明治天皇から勅語が与えられてその権限が認められ、大日本帝国憲法下において文官が軍の指揮権を持つ唯一の職となった。伊藤博文および曽禰荒助の2代続いた文官の統監の後は、武官が就任している。

統監府から朝鮮総督府への移行

明治43年(1910年)8月29日の韓国併合により朝鮮総督府が設置されたが、統監府および所属官署は当分の間存続し、朝鮮総督の職務は統監がこれを行使するとされた。同年9月30日に朝鮮総督府官制が制定され、統監府は大韓帝国政府の組織と統合の上、朝鮮総督府へと改組された。

よくある質問

韓国統監府はいつ設置されましたか?
明治38年(1905年)11月23日に「韓国ニ統監府及理事庁ヲ置クノ件」に基づいて設置されました。
初代の韓国統監は誰ですか?
初代韓国統監には伊藤博文が就任しました。
韓国統監府はどのように消滅しましたか?
明治43年(1910年)の韓国併合に伴い、同年9月30日に大韓帝国政府の組織と統合され、朝鮮総督府へと改組されました。

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参考文献

  • 明治39年1月31日統監府告示第2号(統監府及理事廳事務開始)官報第6778号(1906年02月06日)
  • 『朝鮮総督府設置ニ関スル件 (明治43年勅令第319号)』国立印刷局明治43年8月29日官報号外6頁。
  • 「朝鮮総督府設置ニ関スル件・御署名原本・明治四十三年・勅令第三百十九号」(PDF)『大日本帝国』1910年8月29日、国立公文書館。
  • 『朝鮮總督府官制 (勅令第354号)』国立印刷局明治43年9月30日官報号外1頁。
  • 「御署名原本・明治四十三年・勅令第三百五十四号・朝鮮総督府官制」(PDF)『大日本帝国』1910年9月29日、国立公文書館。
  • 瀧井一博『伊藤博文』中央公論新社、2010年。