日本の政治家
菅野経三郎:戦前・戦中の愛知県岡崎市長および政治家

大正から昭和にかけて活躍した日本の政治家、第7〜9代岡崎市長を務めた菅野経三郎の生涯と業績について解説します。
📌 主なポイント
- ✓1877年11月17日、愛知県額田郡岡崎連尺町で生まれる。
- ✓第7代から第9代までの岡崎市長を3期務めた。
- ✓1945年の岡崎空襲時に消火を指揮し、市役所庁舎を守り抜いた。
- ✓1956年7月1日に岡崎市名誉市民に推挙された。
菅野 経三郎(かんの つねさぶろう、1877年11月17日 - 1956年12月18日)は、日本の政治家。愛知県会議員、岡崎市会議員を経て、第7代から第9代の岡崎市長を3期務めた。

経歴
愛知県額田郡岡崎連尺町(現・岡崎市)で、岡崎藩士の子として生まれる。額田郡高等小学岡崎学校を卒業後、1893年(明治26年)に東京市本郷の伊勢屋呉服店へ入店し、1898年(明治31年)12月に地元・連尺町で姫路屋呉服店を開業した。その後、岡崎商業界の重鎮として活動した。
地方政界への進出
42歳で政界へ転じ、1920年(大正9年)9月3日に岡崎市会議員に就任した。1927年(昭和2年)9月25日に行われた愛知県会議員選挙に立憲民政党公認で立候補し初当選を果たす。県議時代には土木委員長として、日名橋、明代橋、龍城橋の架橋などに尽力した。
岡崎市長としての活動
1935年(昭和10年)12月23日、岡崎市長に選任された。市長在任中、1940年(昭和15年)9月19日には市役所を籠田町から十王町へ移転新築した。

1945年(昭和20年)7月20日の岡崎空襲では、私邸が焼失するなか市役所に駆けつけて消火を指揮し、庁舎を守り抜いたとされる。1946年(昭和21年)11月1日に公職追放に先立ち市長を辞任した。
晩年と表彰
退職後も大樹寺保存会長として同寺の修理に尽力するなど公共に奉仕し、1948年(昭和23年)に焼失した龍城神社社殿の再建にも関わった。1956年(昭和31年)7月1日に岡崎市名誉市民に推挙され、同年12月18日に79歳で死去した。
よくある質問
菅野経三郎の生年月日と没年月日は?
1877年11月17日に生まれ、1956年12月18日に79歳で亡くなりました。
岡崎市長としての在任期間はいつですか?
1935年12月23日から1946年11月1日まで、3期にわたり務めました。
岡崎市名誉市民にはいつ推挙されましたか?
亡くなる数か月前の1956年7月1日に推挙されました。
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岡崎市立憲民政党岡崎市役所大樹寺
参考文献
新編岡崎市史編さん委員会『新編 岡崎市史 近代 4』1991年。
新編岡崎市史編さん委員会『新編 岡崎市史 史料 現代 11』1983年。
東海新聞社編纂『岡崎市戦災復興誌』岡崎市役所、1954年。
新編岡崎市史編さん委員会『新編 岡崎市史 史料 現代 11』1983年。
東海新聞社編纂『岡崎市戦災復興誌』岡崎市役所、1954年。