日本の元号
寛保とは:日本の元号の歴史と概要
日本の元号の一つである「寛保」について、改元の経緯、典拠、年間の主な出来事(寛保の洪水など)を分かりやすく解説します。
📌 主なポイント
- ✓寛保は元文の後、延享の前の元号であり、1741年から1744年までの期間を指す。
- ✓当時の天皇は桜町天皇、江戸幕府将軍は徳川吉宗である。
- ✓元号の典拠は『国語』周語の記述に基づいている。
- ✓寛保2年には関東から近畿にかけて大水害(寛保の洪水・高潮)が発生した。
寛保(かんぽう、かんぽ、旧字体: 寛󠄁保)は、日本の元号の一つである。元文の後、延享の前であり、1741年から1744年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇、江戸幕府将軍は徳川吉宗であった。
改元の経緯と典拠
元文6年2月27日(1741年4月12日)、讖緯説に基づく辛酉革命に当たるため改元が行われた。その後、寛保4年2月21日(1744年4月3日)に延享へ改元されている。「寛保」という名称は、正徳改元の際に当時の霊元上皇が強く推したものの、新井白石から「柳沢吉保を想像させる」として拒絶された経緯があったとされる。
しかし、今回は先例に基づいて2月中の改元を実現させるために勘申する候補を17に増やしたところ、却って選定に手間取って幕府に案が届いたのは2月になってからであった。桜町天皇や摂関家が推す「寛保」に対して幕府も異論を挟まなかったため、予定通りの2月改元に間に合わせることができた。
また、「寛保」の典拠は『国語』周語の「寛所以保本也、注曰、本位也、寛則得衆」から採られている。
寛保年間の主な出来事
寛保年間には、以下のような特筆すべき出来事が記録されている。
- 寛保2年(1742年): 関東から近畿にかけて大水害が発生し、寛保の洪水や高潮となった。特に千曲川流域や江戸などで深刻な被害が出た(戌の満水・寛保二年江戸洪水参照)。
- 寛保3年から翌年1月にかけて: クリンケンベルグ彗星が観測された。
時代の主要人物
寛保年間における主な誕生および死去は以下の通りである。
- 誕生: 元年(1741年)に桃園天皇(第116代天皇)、2年(1742年)に等順(天台宗大僧正)が誕生した。
- 死去: 元年(1741年)に天英院(徳川家宣御台所、享年80)が死去した。
よくある質問
寛保の期間はいつからいつまでですか?
1741年から1744年までの期間を指します。
寛保の改元の理由はなんですか?
元文6年2月27日(1741年4月12日)に、讖緯説に基づく辛酉革命に当たるため改元が行われました。
寛保年間に起きた大きな自然災害は何ですか?
寛保2年に関東から近畿にかけて大水害(寛保の洪水・高潮)が発生し、千曲川流域や江戸などで深刻な被害をもたらしました。
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参考文献
久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2