歴史・地理
関東という言葉の歴史的変遷と地理的概念
日本における「関東」という言葉の歴史的変遷や地理的概念について解説します。古代の三関から中世の鎌倉府、近世の関八州、そして現代の関東地方まで、その意味の移り変わりを検証します。
📌 主なポイント
- ✓「関東」の原義は「関所の東側」であり、時代によって指す地理的範囲が変化した。
- ✓古代においては、不破関・鈴鹿関・愛発関の「三関」の東側を指す言葉として用いられた。
- ✓近世の江戸時代には、箱根・小仏・碓氷の関所より東の坂東8か国を指して「関八州」とも呼ばれた。
関東(かんとう)は、関西と対比されることの多い言葉であり、現代の日本では主として東京とその周辺を含む日本の関東地方を指す。しかし、その原義は「関所の東側」であり、歴史的な文脈や時代によって示す範囲や意味合いは大きく変化してきた。
歴史的変遷
古代において、「関東」という概念は天武天皇の時代に設置された三関(東山道の不破関、東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関)の東側を指す言葉として成立した。この当時は現在の関東地方のみならず、より広い東日本一帯や「東国」に近い範囲を包含していた。
中世に入ると、源頼朝が鎌倉に政権を樹立したことに伴い、「関東」は鎌倉幕府そのもの、および幕府が直接統治権を及ぼす範囲を指す名称として定着した。室町時代には鎌倉府が管轄した国々(いわゆる坂東8か国に伊豆国・甲斐国などを加えた地域)が関東と認識されるようになった。
近世の江戸時代には、江戸を防衛するための箱根関・小仏関・碓氷関から東に位置する坂東8か国が「関東」と呼ばれ、「関八州」という表現が一般化した。明治政府による行政区画の再編を経て、現在の関東地方の範囲がほぼ確立された。
その他の用法
日本の関東地方のほかにも、歴史上「関東」という名称が使われた例が存在する。例えば、中国における函谷関や山海関の東側を指す表現や、日清戦争・日露戦争以降に日本が関わった満洲における関東州や関東軍の名称などが挙げられる。
よくある質問
「関東」という言葉の本来の意味は何ですか?
もともとは「関所の東側」を意味する言葉であり、中国では特定の関所の東側を、日本では飛鳥時代に設けられた三関の東側を指して使われるようになりました。
古代の「関東」は現在の関東地方と同じ範囲ですか?
いいえ、古代の三関以東を指す「関東」は、現在の関東地方よりも広く、東日本や「東国」に近い広範囲を指していました。
近世における「関東」とはどの範囲を指していましたか?
江戸時代には、箱根関・小仏関・碓氷関から東側の坂東8か国を指すのが一般的であり、「関八州」とも呼ばれていました。
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参考文献
網野善彦(2000)『「日本」とは何か(日本の歴史00)』、講談社、ISBN 4-06-268900-6