日本の歴史

関東都督府の歴史と組織:大日本帝国時代の満洲統治機関

大日本帝国時代に関東州と南満洲鉄道附属地を統治した関東都督府の歴史、組織機構、歴代都督および民政長官について解説します。

📌 主なポイント

  • 関東都督府は日露戦争後の1906年9月1日に設置された。
  • 遼東半島の関東州および南満洲鉄道附属地の統治と防備を担当した。
  • 都督には陸軍大将または中将が任命され、軍事と行政の双方で強大な権限を持った。
  • 1919年の官制改正により廃止され、軍事部門は関東軍、民政部門は関東庁に分離された。

関東都督府(かんとうととくふ)は、大日本帝国時代に遼東半島先端部の関東州および南満洲鉄道附属地の統治、防備を任務とした日本の出先官庁である。日露戦争後の1906年に設置され、1919年の行政改革によって解体されるまで満洲経営の一翼を担った。

設置の背景と関東総督府時代

日露戦争の結果、日本はポーツマス条約によりロシア帝国から遼東半島の租借権(関東州)および長春・旅順間の鉄道利権等を継承した。これら地域を防衛するため、1905年9月に天皇直属の機関として関東総督府が遼陽に設置された。

初代関東総督には大島義昌陸軍大将が就任し、軍政を中心とした統治を行った。しかし、市場の門戸開放を重視するイギリスやアメリカ合衆国との摩擦が生じたほか、日本国内の文治派(伊藤博文ら)と武断派の間で統治方針を巡る議論が起こった。その結果、軍政から民政への移行方針が決定され、1906年9月に本部を旅順へ移転の上、関東都督府へと改組された。

組織と権限の変遷

関東都督府は軍事司令官である「都督」が行政長官を兼ねる体制であり、陸軍大将または中将が任じられた。都督は陸軍部と民政部を統括し、強大な権限を有していた。

設置当初は外務大臣・陸軍大臣・参謀総長などの監督を受けることとされていたが、内閣の交代や対外情勢の変化に伴い、その権限や指揮系統は度々変更された。特に1917年の寺内内閣の時期には、在満領事が都督の指揮下に入るなど権限が強化された。

廃止と関東軍・関東庁への分離

1919年、原内閣の時代になると、大正デモクラシーの風潮や外務省の巻き返し、寺内内閣退陣に伴う陸軍の影響力低下を背景として行政改革が実施された。同年、関東都督府は廃止され、軍事部門は関東軍(独立軍)へ、民政部門は関東庁へと分離・移管され、政軍分離の体制へと移行した。

歴代都督

  • 大島義昌(陸軍大将):1906年9月1日 - 1912年4月26日
  • 福島安正(陸軍中将):1912年4月26日 - 1914年9月15日
  • 中村覺(陸軍中将):1914年9月15日 - 1917年7月31日
  • 中村雄次郎(陸軍中将):1917年7月31日 - 1919年4月12日

歴代民政長官

  • 石塚英蔵:1906年9月1日 - 1907年4月25日
  • 中村是公:1907年4月25日 - 1908年5月15日
  • 白仁武:1908年5月15日 - 1917年7月31日
  • 宮尾舜治:1917年7月31日 - 1919年4月12日

よくある質問

関東都督府はいつ設置されましたか?
1906年(明治39年)9月1日に、前身である関東総督府を改組する形で設置されました。
関東都督府の主な任務は何でしたか?
ロシアから譲り受けた遼東半島の関東州の統治、および南満洲鉄道附属地の警備と行政を担当しました。
なぜ関東都督府は廃止されたのですか?
1919年に政軍分離の原則や大正デモクラシーの動向、外務省の意向などを背景として廃止され、軍事は関東軍、行政は関東庁へ分割されました。

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参考文献

  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 島田俊彦『関東軍 在満陸軍の独走』講談社、2005年。
  • 『官報』第1770号、大正7年6月27日。