歴史・地理

歴史的租借地・関東州の概況と沿革

歴史的租借地・関東州の概況と沿革
ポーツマス条約に基づき日本がロシアから引き継いだ租借地「関東州」の歴史、行政、経済、郵便切手について解説する百科事典記事。

📌 主なポイント

  • 関東州は、ポーツマス条約に基づきロシアから日本が引き継いだ遼東半島先端部の租借地である。
  • 面積は約3,462.5平方キロメートルであり、鳥取県とほぼ同等の広さを持っていた。
  • 行政組織は時期によって関東都督府、関東庁、関東局・関東州庁へと変遷した。
  • 大連は自由港として発展し、1925年には生産品の輸入税免除に関する法律が制定された。

関東州(かんとうしゅう、旧字体:關東州)は、日露戦争の講和条約であるポーツマス条約に基づき、ロシア帝国から日本が引き継いだ租借地である。1905年の満洲善後条約締結から、1945年8月のソビエト連邦による占領までの期間、日本による統治が続けられた。現在の中華人民共和国遼寧省大連市の一部地域(大連および旅順地域)に該当する。

関東州の位置
関東州の位置

「関東」という名称は、中国の山海関から東側、すなわち満洲全域を指す言葉に由来しており、遼東半島先端部をその領域としたのはロシア帝国を端緒とする。

日本が租借した遼東半島先端部(旅大地域)
日本が租借した遼東半島先端部(旅大地域)。面積は3,462.5平方キロメートルで鳥取県とほぼ同じ大きさである。

歴史的経緯

日清戦争後の下関条約により日本が割譲された遼東半島は、三国干渉によって清朝へ返還された。その後、1898年にロシア帝国が遼東半島の一部を25年の期限で清朝から租借し、旅順軍港を築港した。日露戦争の激戦地となった後、1905年9月のポーツマス条約によってロシアが有していた同地域の租借権が日本へ移譲された。

歴史的資料画像1
関東州に関連する歴史資料図版

同年12月には清朝との間で満洲善後条約が締結された。当初は軍政が敷かれていたが、1906年9月に民政へ移管されて関東都督府が設置された。その後、関東軍の分離や関東庁への改組、関東局および関東州庁の設置など行政組織の変遷を経た。1932年に満洲国が建国されると、租借権の根拠は満洲国との関係性に移行し、1937年には南満洲鉄道(満鉄)附属地の行政権が満洲国へ返還された。

満洲国の鉄道網
満洲国成立後の満洲の鉄道。赤の部分が関東州時代からの南満洲鉄道

経済と産業

ロシア時代から自由港であった大連を中心に、化学製品、毛織物、硬化油、リンゴ、セメントなどの産業が営まれた。1925年3月には「関東州の生産に係る物品の輸入税免除に関する法律」が成立し、活発な海上貿易が行われた。一方で、税関を通じた貨物検査の仕組みから密貿易の拠点となる側面もあった。

歴史的資料画像2
関東州の経済活動や都市景観を示す資料

通貨としては、朝鮮銀行券および日本円と等価交換が保証された通貨が流通していた。

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当時の大連市街や施設の様子

郵便事業と切手

郵便事業は逓信省の下にある関東逓信局が担当した。関東局管内でのみ発売された記念切手として、1936年の「関東州始政30周年記念切手」や、1944年の「関東神宮鎮座記念切手」が発行されている。

関東神宮鎮座記念切手
関東神宮鎮座記念切手

1945年の敗戦とソ連軍の進駐に伴い、関東州における日本の統治機関は消滅した。

よくある質問

関東州とはどのような地域ですか?
日露戦争後のポーツマス条約および満洲善後条約により、ロシアから日本が引き継いだ遼東半島先端部(現在の大連市および旅順地域の一部)の租借地です。
関東州の面積はどのくらいでしたか?
面積は約3,462.5平方キロメートルであり、日本の鳥取県とほぼ同じ広さでした。
関東州ではどのような通貨が流通していましたか?
朝鮮銀行券や、日本銀行の円との等価交換が保証された通貨が流通していました。

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参考文献

日本大百科全書(ニッポニカ) 関東州; 第50回帝国議会貴族院委員会議事速記録目次; 官報各種号外