歴史的鋼製貨客船「笠戸丸」の生涯

📌 主なポイント
- ✓笠戸丸は1900年にイギリスで進水し、当初はロシア義勇艦隊の「カザン」として運航されていた。
- ✓日露戦争における旅順陥落後に日本海軍の戦利品となり、「笠戸丸」と命名された。
- ✓1908年に最初のブラジル移民を乗せて神戸を出港し、サントスへ到着したことで歴史的に知られている。
- ✓戦中・戦後は漁業工船などへ改装され、1945年8月にカムチャツカ沖で沈没した。
笠戸丸(かさとまる)は、明治時代後期から第二次世界大戦にかけて、移民船や病院船、漁業工船など多様な用途で運用された日本の鋼製貨客船である。イギリスで建造された後、ロシア帝国の船籍を経て日本海軍の戦利品となり、民間に払い下げられてからはブラジルをはじめとする海外への日本人移住を支えたことで広く知られている。
建造とロシア時代
本船は1899年にイギリスのウィガム・リチャードソン造船会社で起工され、1900年6月に進水した。当初は「ポトシ」と命名されたが、その後ロシア義勇艦隊へ売却されて「カザン」と改名された。オデッサとウラジオストク間の航路等に就航し、日露戦争開戦時には兵士を乗せて旅順に入港した。
1904年2月の日本艦隊による砲撃で被災したが、その後は負傷者を受け入れるなどして赤十字病院船に指定された。同年12月には重要書類を載せて旅順を脱出するなどの経緯をたどっている。
日本海軍による拿捕と移民輸送
旅順陥落後、日本側は病院船業務の停止命令を根拠として本船を戦利品に指定し、1905年5月に日本船籍となって「笠戸丸」と命名された。呉鎮守府を本籍とし、初期には陸軍の兵員引き揚げなどに使用された。
その後、東洋汽船へ貸し出されて海外への移民輸送に投入された。ハワイやペルー、メキシコなどへの渡航者を輸送した後、1908年には皇国殖民会社の契約に基づく最初のブラジル移民を乗せて神戸港を出港し、サントスへと運んだ歴史的航海を行った。
台湾航路および病院船としての運用
1912年に大阪商船が本船を購入し、主に台湾航路や南米・南洋方面の定期船として運用された。客船としての改修が重ねられ、一等・二等・三等の定員変更や速度試験中の事故なども経験している。また、1929年には中国情勢の悪化に伴い海軍の嘱託を受け、再び病院船として上海や漢口へ派遣された。
工船への改装と太平洋戦争
1930年以降は民間への売却や転籍が相次ぎ、イワシ工船やサケ・マス工船、蟹工船などの漁業工船へと姿を変えた。新興水産から日本水産、さらに日本海洋漁業統制へと所属を変えながら北洋漁業に従事した。
太平洋戦争下では物資や塩の輸送、カムチャツカ方面への航海を行ったが、1945年8月9日、第二次世界大戦の終結直前にカムチャツカ沖のウトロにて被弾・沈没し、その数奇な歴史の幕を閉じた。
よくある質問
笠戸丸はもともとどこの国の船でしたか?
笠戸丸がブラジル移民を輸送したのはいつですか?
笠戸丸の最後はどうなりましたか?
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参考文献
外務省 特別展示「日本とブラジルの120年」関連資料
『大阪商船株式會社五十年史』