人物

片野饗一:昭和・平成期の日本の銀行家

昭和から平成期にかけて秋田相互銀行社長や秋田あけぼの銀行頭取を務めた日本の銀行家、片野饗一の生涯と業績について解説します。

📌 主なポイント

  • 1915年11月16日に秋田県湯沢市で生まれた。
  • 東京商科大学を卒業後、三菱商事での勤務を経て秋田無尽に入社した。
  • 秋田相互銀行社長および秋田あけぼの銀行頭取を務め、オンラインシステムの導入や新本店ビルの竣功など経営基盤の近代化に貢献した。

片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月16日 - 2002年(平成14年)2月24日)は、日本の銀行家。秋田相互銀行社長、秋田あけぼの銀行頭取、北都銀行取締役相談役などを歴任した。

生涯

1915年11月16日、秋田県湯沢市に父・片野重脩、母・ソノの次男として生まれる。旧制中学校を経て東京商科大学(現一橋大学)に進学し、1941年に卒業した。大学卒業後は三菱商事に入社し、実業家としてのキャリアをスタートさせた。

1949年、父である片野重脩が設立を主導した秋田無尽に入社する。秋田無尽は1951年に秋田相互銀行へと転換し、片野は営業部長、取締役、常務取締役、専務取締役を歴任して経営の中核を担った。1973年に社長に就任した。

経営者としての業績

社長在任中、事務のOA化や近代化を積極的に推進した。1976年には事務センターを開館させ、翌年にはオンラインシステムの稼動を開始するなど、業務の効率化と体制整備に尽力した。また、1982年には新たな本店ビルである「新本店ビル」(現在の北都ビルディング)の竣功を実現させた。

1989年には普通銀行への転換に伴い、秋田あけぼの銀行頭取に就任した。また、地域貢献の一環としてスポーツ文化の振興にも力を入れ、行内野球部を全国都市対抗野球選手権大会の東北代表として出場に導くなど、多方面で足跡を残した。

晩年

1990年に会長へ退いた。その後、行う合併を経て北都銀行が発足すると、取締役相談役を務め、1994年に退任した。2002年2月24日、脳梗塞のため入院先の秋田赤十字病院で死去した。享年86。

略歴

  • 1915年 - 秋田県湯沢市に生まれる
  • 1941年 - 東京商科大学卒業後、三菱商事入社
  • 1949年 - 秋田無尽入社
  • 1951年 - 秋田無尽が秋田相互銀行に転換
  • 1953年 - 営業部長
  • 1956年 - 取締役
  • 1958年 - 常務取締役
  • 1968年 - 専務取締役
  • 1973年 - 秋田相互銀行社長就任
  • 1989年 - 普通銀行転換に伴い秋田あけぼの銀行頭取就任
  • 1990年 - 会長就任
  • 1993年 - 北都銀行取締役相談役就任
  • 1994年 - 退任
  • 2002年 - 秋田県秋田市にて逝去(享年86)

よくある質問

片野饗一の出身地はどこですか?
秋田県湯沢市です。
どのような役職を歴任しましたか?
秋田相互銀行社長、秋田あけぼの銀行頭取、北都銀行取締役相談役などを歴任しました。
どのような功績を残しましたか?
事務のOA化やオンラインシステムの稼働、新本店ビルの竣功など、銀行の近代化を推進しました。

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参考文献

日本金融通信社 『日本金融名鑑(上)』 1989年
日本金融通信社 『日本金融通信縮刷版 2002年』 2003年