日本の内閣
加藤高明内閣の構成と歴史的概要

大正時代中期に成立した憲政会・立憲政友会・革新倶楽部による護憲三派連立の加藤高明内閣について、閣僚名簿や成立・推移の歴史的事実を解説します。
📌 主なポイント
- ✓加藤高明内閣は1924年(大正13年)6月11日に成立した。
- ✓憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の護憲三派による連立内閣として発足した。
- ✓1925年(大正14年)4月に農商務省が廃止され、農林省と商工省が設置された。
- ✓1926年(大正15年)1月28日の加藤高明の死去に伴い内閣が終了した。
加藤高明内閣(かとうたかあきないかく)は、子爵・貴族院議員・憲政会総裁であった加藤高明を第24代内閣総理大臣として成立した日本の内閣である。
与党・支持基盤としては憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の護憲三派による連立内閣として出発し、のちに憲政単独内閣へと移行した。成立年月日は1924年(大正13年)6月11日で、終了年月日は1926年(大正15年)1月30日である。
内閣の成立と政治的基盤
第15回衆議院議員総選挙の結果を受けて成立した護憲三派連立内閣であり、憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の3党が連立を組んだ。内閣発足時の首班には憲政会総裁の加藤高明が就任し、外務大臣に幣原喜重郎、内務大臣に若槻禮次郎、大蔵大臣に濱口雄幸などが起用された。
閣僚人事の推移と組織改編
任期中には行政機構の整理や省庁の再編が行われ、1925年(大正14年)4月1日付で農商務省が廃止され、新たに農林省と商工省が設置された。これに伴い、高橋是清らが農林大臣および商工大臣を兼任・歴任した。
また、1925年(大正14年)8月2日には内閣改造が行われ、司法大臣に江木翼、農林大臣に早速整爾、商工大臣に片岡直温がそれぞれ初入閣した。
内閣の終焉
1926年(大正15年)1月28日、総理在任のまま加藤高明が死去した。これにより内閣は終了事由を迎え、内務大臣であった若槻禮次郎が内閣総理大臣臨時代理として事務を取り扱ったのち、同年1月30日に総辞職し、第1次若槻内閣へと引き継がれた。
よくある質問
加藤高明内閣の成立年月日はいつですか?
1924年(大正13年)6月11日です。
加藤高明内閣の支持基盤は何でしたか?
発足時は憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の護憲三派による連立内閣でした。
加藤高明内閣が終了した理由は何ですか?
1926年(大正15年)1月28日の内閣総理大臣・加藤高明の死去が終了事由となりました。
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参考文献
『官報』号外および各号(大正13年〜大正15年)国立国会図書館デジタルコレクション。