日本の元号
建永:日本の元号(1206年〜1207年)
日本の元号である「建永(けんえい)」に関する百科事典記事。1206年から1207年までの期間、改元の背景、典拠、主要な歴史的出来事について解説します。
📌 主なポイント
- ✓建永は元久の後、承元の前の元号であり、1206年から1207年までの期間に用いられた。
- ✓改元の理由については、『百錬抄』に赤斑瘡説、『一代要記』に九条良経の急死説がある。
- ✓元号の典拠は中国の古文書『文選』である。
- ✓建永2年(1207年)2月、承元の法難により法然が讃岐国へ、親鸞が越後国へ流された。
建永(けんえい、旧字体:建󠄁永)は、日本の元号の一つ。元久の後、承元の前。1206年から1207年までの期間を指す。この時代の天皇は土御門天皇であり、後鳥羽上皇による院政が敷かれていた。鎌倉幕府においては、源実朝が征夷大将軍、北条義時が執権を務めていた。
改元
元久3年4月27日(ユリウス暦1206年6月5日)に改元が行われた。改元の理由については諸説あり、『百錬抄』では赤斑瘡(あかはしか・麻疹の一種)の流行を原因とする説が挙げられている一方、『一代要記』では摂政・九条良経の急死を原因とする説が記されている。その後、建永2年10月25日(ユリウス暦1207年11月16日)に承元へと改元された。
典拠
元号の典拠とされるのは、中国の古文書『文選』巻四十二に収められている曹子建與楊德祖書の一節である。「吾雖德薄、位為蕃侯、猶庶幾戮力上國、流惠下民。建永世之業、留金石之功、豈徒以翰墨為勳績、辭賦為君子哉!」という記述から採られている。
建永期の主な出来事
建永年間における最大の歴史的出来事として、仏教史上の弾圧事件である「承元の法難」が挙げられる。建永2年2月28日、専修念仏停止の訴えなどを背景として、親鸞が越後国へ、法然が讃岐国へとそれぞれ流罪に処せられた。
よくある質問
建永の期間はいつからいつまでですか?
ユリウス暦で1206年6月5日(元久3年4月27日)から1207年11月16日(建永2年10月25日)までの期間です。
建永という元号の由来は何ですか?
中国の古文書である『文選』巻四十二・曹子建與楊德祖書の記述を典拠としています。
建永年間におきた主な事件は何ですか?
専修念仏の停止を契機として法然が讃岐国へ、親鸞が越後国へ流罪となった「承元の法難」がおきました。
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元久承元土御門天皇後鳥羽上皇源実朝北条義時承元の法難
参考文献
『百錬抄』『一代要記』『文選』