日本の元号
建長 (元号)
日本の元号の一つである「建長」の歴史的背景、改元の経緯、建長期に起きた主な出来事や西暦との対照表について詳しく解説します。
📌 主なポイント
- ✓建長は日本の元号の一つで、1249年から1256年までの期間を指す。
- ✓当時の天皇は後深草天皇、鎌倉幕府の執権は北条時頼であった。
- ✓元号の典拠は『後漢書』の記述に基づいている。
建長(けんちょう、旧字体: 建󠄁長)は、日本の元号の一つ。宝治の後、康元の前。1249年から1256年までの期間を指す。この時代の天皇は後深草天皇。鎌倉幕府の将軍は藤原頼嗣および宗尊親王、執権は北条時頼が務めた。
改元の経緯
宝治3年3月18日(ユリウス暦1249年5月2日)、天変および火災を理由として改元が行われた。宝治3年2月1日には、里内裏となっていた閑院が焼失する火災(閑院火災)が発生しており、これが改元の主な契機となった。しかし、改元からわずか5日後には洛中の主要部を焼き尽くし、鴨川対岸の蓮華王院にまで及ぶ大火災が発生している。
建長期の主な出来事
- 1249年(建長元年):天変地異や火災を受け、宝治3年3月18日に建長へ改元。
- 1252年(建長四年):宗尊親王が鎌倉幕府の第6代将軍に就任。皇族として初の征夷大将軍となる。
- 1256年(建長八年):10月5日に康元へ改元。
由来
元号の典拠は、『後漢書』の一節にある「建二長久之策一」に由来している。
よくある質問
建長とは何の期間を指しますか?
1249年から1256年までの日本の元号およびその期間を指します。
建長に改元された理由は何ですか?
宝治3年2月に発生した閑院の火災などの天変地異を理由として、1249年3月18日に改元が行われました。
建長期の鎌倉幕府の執権は誰ですか?
北条時頼が執権を務めていました。
関連記事
宝治康元北条時頼後深草天皇建長寺
参考文献
片平博文『貴族日記が描く京の災害』思文閣出版、2020年、P87-106.