日本の元号
建保 (元号)
日本の元号の一つである建保(けんぽう)についての解説。1213年から1219年までの期間、順徳天皇の時代、源実朝の暗殺などの歴史的事実を正確に伝えます。
📌 主なポイント
- ✓建保は日本の元号の一つで、1213年から1219年までの期間に用いられた。
- ✓元号の出典は中国の古典『尚書』である。
- ✓建保7年1月に鎌倉幕府将軍・源実朝が鶴岡八幡宮で暗殺された。
建保(けんぽう)は、日本の元号の一つ。建暦の後、承久の前。1213年から1219年までの期間を指す。この時代の天皇は順徳天皇であり、後鳥羽上皇による院政が行われていた。鎌倉幕府では源実朝が将軍を務め、執権は北条義時であった。
改元
建暦3年12月6日(ユリウス暦1214年1月18日)に、「天変地妖(大地震)」が原因とされて改元が行われた。『百錬抄』にその記録が残されている。その後、建保7年4月12日(ユリウス暦1219年5月27日)に承久へと改元された。
出典
元号の出典は、古代中国の書物である『尚書』の記述「惟天丕建、保乂有殷」に由来している。
建保年間の主な出来事
- 建保7年1月27日:鶴岡八幡宮において、鎌倉幕府将軍の源実朝が甥の公暁により暗殺される。
- 建保7年1月7日、1月15日、2月14日:鎌倉の地で相次いで火災が発生する。
- 建保7年5月24日:京都において、ひでり(炎旱)が続いたことによる大火が発生する。
よくある質問
建保は日本のどの時代にあたりますか?
鎌倉時代にあたり、1213年から1219年までの期間です。
建保の次の元号は何ですか?
承久です。
建保という元号の由来は何ですか?
中国の古典『尚書』の「惟天丕建、保乂有殷」が出典とされています。
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建暦承久源実朝順徳天皇北条義時
参考文献
『百錬抄』および日本の歴史的元号に関する史料に基づく。