日本の元号
建徳 (日本)
建徳は、日本の南北朝時代に南朝で使用された元号。1370年から1372年までの期間を指し、長慶天皇の即位に伴い改元された。
📌 主なポイント
- ✓建徳は日本の南北朝時代、南朝で使用された元号である。
- ✓期間は1370年から1372年までである。
- ✓長慶天皇の即位に伴い、正平から改元された。
- ✓出典は『文選』の「建至徳以業洪業」である。
建徳(けんとく)は、日本の南北朝時代に南朝で使用された元号の一つである。正平の後、文中の前にあたり、1370年から1372年までの期間を指す。この時期の南朝の天皇は長慶天皇であり、北朝では後光厳天皇および後円融天皇が在位していた。室町幕府の将軍は足利義満であった。
改元
南朝における改元は、長慶天皇の即位に伴い行われた。正平25年7月24日(ユリウス暦1370年8月16日)に「建徳」へと改元された。その後、建徳3年4月1日(ユリウス暦1372年5月4日)に「文中」へと改元されている。
なお、改元の日付については史料により異説が存在する。『南朝編年記略』や『南朝公卿補任』では7月24日とされる一方、鴨脚本『皇代記』は同年4月22日(5月17日)とし、『伊勢之巻』は1月21日(2月17日)とする説を採る。また、歴史学者の村田正志は『大徳寺文書』にある建徳元年2月5日(1370年3月3日)付の文書を根拠に、当日以前の改元を指摘しているが、服部英雄は当時の文書において日付が遡及して記される慣習があったことを指摘している。
出典
元号の出典は『文選』の「建至徳以業洪業」に由来するとされる。勘申者については不詳である。
建徳年間の主な出来事
建徳年間には、南朝と北朝・室町幕府との間で激しい攻防が続いた。
- 1370年(建徳元年):11月に和田正武が河内東条城の楠木正儀を攻撃した。
- 1371年(建徳二年):2月に二条教頼邸で『三百番歌合』が催された。5月には細川頼基が南朝方攻撃のため河内へ出陣し、8月には南朝が四条隆俊・和田正武を派遣して楠木正儀を攻撃させた。また、征西府の使者が明へ渡り、懐良親王が「日本国王」に封ぜられた。12月には九州探題の今川貞世が豊前門司に到着した。
- 1372年(建徳三年):2月に菊池武政が肥前烏帽子岳で今川仲秋を襲撃したが敗退した。3月には伊勢国司の北畠氏が守護の仁木義長を破り、朝明郡一帯を占領した。
よくある質問
建徳の元号はいつからいつまで使用されましたか?
1370年から1372年まで使用されました。
建徳に改元された理由は?
長慶天皇の即位に伴う代始改元です。
建徳という元号の出典は何ですか?
『文選』にある「建至徳以業洪業」という一節が由来とされています。
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参考文献
- 『南朝編年記略』
- 『南朝公卿補任』
- 服部英雄「未来年号考」『古文書研究』第20号、吉川弘文館、1983年。