ケニア共和国の概要と歴史・地理的特徴

📌 主なポイント
- ✓ケニア共和国の首都はナイロビであり、国連環境計画などの本部が置かれている。
- ✓国名はアフリカ大陸で2番目に高いケニア山(標高5,199m)に由来する。
- ✓1963年にイギリスから独立し、翌1964年に共和制へ移行した。
- ✓2010年の新憲法制定により、47のカウンティによる地方分権体制が導入された。
ケニア共和国(ケニアきょうわこく)、通称ケニアは、東アフリカに位置する共和制国家であり、イギリス連邦の加盟国である。北にエチオピア、北西に南スーダン、西にウガンダ、南にタンザニア、東にソマリアと国境を接し、南東はインド洋に面する。
首都および最大の都市はナイロビであり、同都市には国際連合環境計画(UNEP)や国際連合人間居住計画(UN-Habitat)の本部が置かれているなど、アフリカ大陸有数の国際都市として知られている。
国名と由来
正式名称はスワヒリ語で「Jamhuri ya Kenya」、英語では「Republic of Kenya」。国名は、アフリカ大陸で2番目に高い標高5,199メートルのケニア山に由来している。
歴史
ケニア地域には、紀元前2000年頃からのクシ語系民族の移動に続き、紀元前1000年までにバンツー語系やナイル語系の民族が定住し、現在の国民を形成する基盤となった。
7世紀以降はアラブ人が海岸地域に定住し、モンバサやマリンディなどの交易都市が発達。バンツー文化とアラブ文化が融合したスワヒリ文明が栄えた。15世紀末以降はポルトガル人の進出やオマーン帝国の支配を受け、19世紀末からはイギリスの植民地支配が始まった。1895年にイギリス領東アフリカが成立し、のちにウガンダ鉄道の敷設などによって内陸部への影響力が拡大した。
第二次世界大戦後、土地と自由を求める「マウマウ団の乱」などの激しい抵抗運動を経て、1963年にイギリスから独立を達成。翌1964年には共和制へ移行し、ジョモ・ケニヤッタが初代大統領に就任した。
その後、ダニエル・アラップ・モイ政権を経て1991年に複数政党制が導入された。2002年の政権交代や2007年の大統領選挙に伴う「ケニア危機」といった政治的動揺を経験しつつも、2010年には新憲法が制定され、大統領権限の縮小や地方分権化が進められた。
地理と気候
ケニアは赤道付近に位置しており、インド洋やヴィクトリア湖周辺は年間平均気温約26℃の熱帯性気候を示す。一方、国土の大部分は標高1,100〜1,800メートルの高原地帯となっており、比較的乾燥したサバンナ気候が広がっている。
国内を南北に縦断する巨大な谷「大地溝帯(リフト・バレー)」には、トゥルカナ湖、ナクル湖、ナイバシャ湖などの多くの湖が並ぶ。また、国内には多様な野生生物が生息しており、アンボセリ国立公園、マサイマラ国立保護区、ケニア山国立公園など、多数の国立公園や自然保護区が設置されている。
地方行政区分
2010年に制定された新憲法に基づき、従来の州を基本とする中央集権体制から、47のカウンティ(県)を単位とする地方分権化が導入された。2013年の総選挙以降、各カウンティ政府が行政を担っている。