日本の歴史

紀元節の歴史と変遷

紀元節は、神武天皇の即位日を記念して定められたかつての祝祭日です。その制定の経緯、宮中祭祀としての役割、そして戦後の建国記念の日への移行について解説します。

📌 主なポイント

  • 紀元節は、神武天皇の即位日を記念して1873年に制定された。
  • かつては四方節、天長節、明治節と並ぶ「四大節」の一つであった。
  • 1948年に廃止されたが、1966年に「建国記念の日」として2月11日が祝日に再制定された。

紀元節(きげんせつ)は、かつて日本において祝祭日の一つとされていた記念日です。『日本書紀』において初代天皇とされる神武天皇の即位日を記念するもので、1873年(明治6年)に制定されました。明治時代から第二次世界大戦後まで、四方節、天長節、明治節と並ぶ「四大節」の一つとして重要な位置を占めていました。

制定の経緯

明治政府は1872年(明治5年)の改暦に伴い、神武天皇の即位日を祝日として定める方針を固めました。当初は旧暦から換算した1月29日を即位相当日として祝日としましたが、翌1873年(明治6年)10月、日付を2月11日に改めました。この2月11日という日付は、神武天皇即位の年とされる紀元前660年の立春に最も近い庚辰(かのえたつ)の日を、グレゴリオ暦に換算して算出されたものです。

宮中祭祀と国民的行事

紀元節には、宮中三殿の皇霊殿において天皇親祭による「紀元節祭」が執り行われました。また、全国の神社においても祭典が行われ、学校では教育勅語の奉読や御真影への礼拝を含む儀式が実施されました。1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布がこの日に行われたこともあり、国家的な祝祭日としての性格が強まりました。

戦後の廃止と建国記念の日への移行

第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の意向などにより、紀元節は廃止されました。しかし、1950年代以降、紀元節の復活を求める運動が活発化しました。数度の議論を経て、1966年(昭和41年)に「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことを趣旨とする「建国記念の日」が国民の祝日として制定され、翌1967年より2月11日がその日として適用されることとなりました。

現代における祭祀

現在、宮中においては紀元節祭としての祭祀は行われていませんが、天皇による三殿御拝が行われています。一方で、神社本庁傘下の神社や一部の団体では、現在も2月11日に紀元節祭や建国を祝う行事が行われています。

よくある質問

紀元節はいつ制定されましたか?
1873年(明治6年)に制定されました。当初は1月29日とされましたが、同年10月に2月11日へ変更されました。
なぜ2月11日なのですか?
『日本書紀』に記された神武天皇即位の年(紀元前660年)の正月朔日を、明治政府がグレゴリオ暦に換算し、立春に近い庚辰の日として算出したためです。
紀元節と建国記念の日は同じものですか?
日付は同じ2月11日ですが、紀元節は神武天皇の即位を祝う祭日であり、建国記念の日は「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことを趣旨とする現代の国民の祝日です。

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参考文献

  • 内閣官報局編『法令全書』
  • 小野雅章「象徴天皇制下における祝日学校儀式の展開過程」『教育學雑誌』第57巻、2021年。
  • 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年。