ブルガリア王国(1908年-1946年)の歴史

📌 主なポイント
- ✓ブルガリア王国は1908年にフェルディナント公の独立宣言により成立した。
- ✓第一次バルカン戦争では勝利したが、続く第二次バルカン戦争で敗北し領土を失った。
- ✓第二次世界大戦では枢軸国として参戦したが、1944年のクーデターにより連合国側に転換した。
- ✓1946年の国民投票により王政が廃止され、ブルガリア人民共和国が樹立された。
ブルガリア王国は、1908年から1946年までバルカン半島に存在した君主制国家です。1908年9月22日、ブルガリア公国のフェルディナント公が独立を宣言し、ツァール(国王)を称したことで成立しました。この君主号は歴史的な「皇帝」の称号を継承する意図があり、第一次・第二次ブルガリア帝国に続く「第三次ブルガリア帝国」とも称されます。

成立とバルカン戦争
1908年の独立宣言は、オスマン帝国における青年トルコ人革命の混乱に乗じて行われました。翌1909年、オスマン帝国との間で賠償問題が解決され、国際的にも独立が承認されました。その後、ブルガリアは領土拡大を目指し、1912年にセルビア、ギリシャ、モンテネグロと共にバルカン同盟を結成して第一次バルカン戦争に勝利しました。しかし、マケドニアの領有権を巡って同盟国と対立し、1913年の第二次バルカン戦争では敗北を喫し、獲得した領土の多くを失いました。
世界大戦と戦間期
第一次世界大戦では、失地回復を掲げて中央同盟国側で参戦しましたが、敗戦によりヌイイ条約でさらなる領土割譲を余儀なくされました。戦間期には、ペトリチ事変などの紛争や、内部マケドニア革命組織による政治的混乱が続きました。1930年代にはバルカン協商との対立や関係改善の模索が繰り返されました。

第二次世界大戦と王政の終焉
第二次世界大戦において、ブルガリアは1941年に日独伊三国同盟に加盟し枢軸国側となりました。この時期、ユーゴスラビアやギリシャの一部を占領統治しました。しかし、戦局の悪化に伴い連合国による爆撃を受け、1944年9月にはソ連軍の侵攻を受けて共産主義勢力によるクーデターが発生しました。これにより政権は連合国側へ転換しました。戦後の1946年、国民投票を経て王政が廃止され、シメオン2世が亡命したことでブルガリア人民共和国へと移行しました。
よくある質問
ブルガリア王国はいつまで続きましたか?
最後の国王は誰ですか?
なぜ「第三次ブルガリア帝国」と呼ばれるのですか?
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参考文献
- ブルガリアの歴史(ポータル)
- 各国の歴史事典