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交詢社:日本初の社交クラブの歴史と概要

福澤諭吉が提唱し1880年に設立された日本初の社交クラブ「交詢社」の歴史、活動、および銀座の交詢ビルディングについて解説します。
📌 主なポイント
- ✓1880年1月25日に福澤諭吉の提唱で設立された日本初の社交クラブである。
- ✓名称は「知識を交換し、世務を諮詢する」という理念に由来する。
- ✓1889年から『日本紳士録』を発行していたが、2007年に休刊した。
- ✓東京都中央区銀座に拠点を置き、交詢ビルディングを所有している。
交詢社(こうじゅんしゃ)は、1880年(明治13年)に福澤諭吉の提唱によって結成された、日本で最初の実業家社交クラブです。慶應義塾の同窓会メンバーを中心に設立され、その名称は「知識を交換し、世務を諮詢(しじゅん)する」という理念に由来しています。
歴史と設立
1880年1月25日、東京芝区愛宕下の青松寺にて発会式が行われ、24名の常議員によって正式に発足しました。設立には福澤諭吉のほか、慶應義塾の出身者や関係者が深く関わっており、当時の知識人や実業家の交流拠点として機能しました。1912年(大正元年)には財団法人化され、現在は一般財団法人として運営されています。

主な活動
交詢社は設立当初から政治的・社会的な影響力を持っていました。明治期の自由民権運動の盛り上がりの中では、独自の憲法案(交詢社憲法)を発表するなど、私擬憲法運動の一翼を担いました。また、大正時代には第3次桂太郎内閣に対抗する護憲運動の拠点としても知られています。
出版事業としては、各界の著名人を紹介する紳士録『日本紳士録』を1889年(明治22年)から発行していました。同書は長年にわたり日本の名士録として利用されましたが、掲載辞退の増加などの社会環境の変化を受け、2007年の第80版をもって休刊しました。
交詢ビルディング
東京都中央区銀座6丁目に位置する交詢ビルディングは、交詢社の本拠地として知られています。この地名は「交詢社通り」の由来にもなっています。1929年(昭和4年)に建設された歴史的建造物でしたが、2004年(平成16年)に建て替えが行われました。新しいビルは地上10階建てで、ファサード保存の手法を用いて旧建築の一部が継承されています。



よくある質問
交詢社はいつ設立されましたか?
1880年(明治13年)1月25日に発会式が行われ、設立されました。
「交詢社」という名前の由来は何ですか?
「知識を交換し、世務(世の中の務め)を諮詢(相談)する」という理念から名付けられました。
『日本紳士録』は現在も発行されていますか?
いいえ、2007年4月に刊行された第80版をもって休刊しています。
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福澤諭吉慶應義塾社交クラブ銀座私擬憲法
参考文献
- 近代日本の中の交詢社「第4回 同窓会から交詢社構想へ」 慶應義塾大学出版会
- 近代日本の中の交詢社「第1回 明治13年1月25日、発会式」 慶應義塾大学出版会
- asahi.com 出版ニュース「日本紳士録」無期休刊へ 掲載辞退増で「使命終えた」(2007年4月29日)