日本の歴史
日本近代史における国会期成同盟の役割と自由党結成への展開

明治時代の自由民権運動において中心的な役割を果たした国会期成同盟の結成経緯、請願運動、そして自由党結党に至る歴史的変遷を解説します。
📌 主なポイント
- ✓国会期成同盟は1880年(明治13年)の第4回愛国社大会を衣替えして発足した。
- ✓河野広中や片岡健吉らが中心となり、太政官および元老院へ国会開設請願書を提出しようとした。
- ✓第2回大会では大日本国会期成有志公会と改称され、私擬憲法の作成などが決議された。
- ✓1881年の明治十四年の政変に伴う国会開設の詔の発布を経て、自由党の結党へとつながった。
国会期成同盟(こっかいきせいどうめい)は、明治時代中期に日本の国会開設運動(自由民権運動)において中心的な役割を担った政治結社である。のちに日本最初の本格的な政党である自由党の母体となった。
前史と愛国社の活動再開
板垣退助は、国会開設を求める自由民権運動を全国的に展開するため、1875年(明治8年)に愛国社を大阪で設立し、東京に本社を置いた。東京本社には旧彰義隊の出身者なども加わり、加盟する各地方の政社が毎月委員を派遣して中央と地方の情報共有を行う体制が整えられた。しかし、西南戦争の勃発に伴い愛国社は一時活動を自粛し、戦後の1878年(明治11年)9月に再興大会を開いて活動を再開した。その後、第3回愛国社大会において、国会開設の請願署名を集めることと全国での遊説展開が決定された。
第1回国会期成同盟大会と請願運動
1880年(明治13年)3月15日、第4回愛国社大会が大阪の喜多福亭で開催された。2府22県から愛国社系以外の政治結社代表を含む114人が参加し、国会開設を求める約8万7000人の署名が集まった。3月17日からは会場を太融寺に移し、議論が続けられた。
よくある質問
国会期成同盟はいつ結成されましたか?
1880年(明治13年)3月に大阪で開かれた第4回愛国社大会を衣替えする形で発足しました。
国会期成同盟の主な目的は何でしたか?
日本における国会の早期開設を目的とし、全国からの署名を集めて政府へ請願書を提出することや、地方の政治結社との連携を図ることを目指しました。
国会期成同盟はどのような組織に発展しましたか?
のちに大日本国会期成有志公会への改称や私擬憲法の作成を経て、1881年10月に板垣退助を総理とする自由党の結成へと発展しました。
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自由民権運動板垣退助自由党 (日本 1881-1884)私擬憲法明治十四年の政変
参考文献
宇田友猪、和田三郎編『自由党史』上、五車楼、1910年。国立国会図書館デジタルコレクション。
河合敦『目からウロコの近現代史』PHP研究所、2006年。
『国会ヲ開設スル允可ヲ上願スル書』明神安久等、1880年。国立国会図書館デジタルコレクション。
河合敦『目からウロコの近現代史』PHP研究所、2006年。
『国会ヲ開設スル允可ヲ上願スル書』明神安久等、1880年。国立国会図書館デジタルコレクション。