日本の歴史

国民精神作興ニ関スル詔書:大正時代の国家的指針

1923年に渙発された「国民精神作興ニ関スル詔書」の歴史的背景、内容、戦後の失効に関する経緯を解説する百科事典記事。

📌 主なポイント

  • 渙発年月日は1923年(大正12年)11月10日である。
  • 大正天皇の名において摂政宮(皇太子裕仁)が署名し、第2次山本内閣の国務各大臣が副署した。
  • 1948年6月の衆参両院の決議により失効確認がなされた。

国民精神作興ニ関スル詔書(こくみんせいしんさくこうにかんするしょうしょ)は、1923年(大正12年)11月10日に大正天皇の名で摂政宮(皇太子裕仁、後の昭和天皇)によって渙発された詔書である。

歴史的背景と渙発の経緯

大正時代中期、社会においては浮華放縱の習いや軽佻詭激の風潮が萌芽していることが懸念されていた。また、同年9月1日に発生した関東大震災による甚大な災禍を経験し、文化の復興と国力の振興には国民の精神的刷新が不可欠であるという判断から、本詔書が発せられた。

1923年11月10日、大正天皇の名において署名および御璽の捺印が行われ、山本権兵衛内閣総理大臣をはじめとする第2次山本内閣の国務各大臣が副署した。翌11日には、詔書の趣旨を国民に深く徹底させるため、内閣総理大臣告諭が発出された。さらに、11月12日から14日にかけて開催された地方長官会議の席上において、山本首相ならびに後藤新平内務大臣、岡野敬次郎文部大臣らが相次いで言及し、その周知徹底が図られた。

内容と精神

詔書では、当時の社会的弊風を打破し、先帝の聖訓を遵守して実効を挙げる必要性が説かれている。具体的には、教育の重視、智徳の並進、綱紀粛正、風俗匡勵に加え、浮華放縱の排斥と質実剛健への回帰、軽佻詭激の矯正と醇厚中正への帰一が求められた。また、忠孝義勇の美徳の揚掲や、公徳の保持、責任の重視、節制の尊重などが謳われており、国家の興隆と民族の安栄、社会の福祉を図ることが目指された。

戦後の失効

第二次世界大戦後、1948年(昭和23年)6月19日、衆議院における「教育勅語等排除に関する決議」および参議院における「教育勅語等の失効確認に関する決議」の採択に伴い、「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)などとともに失効確認が決議された。

よくある質問

国民精神作興ニ関スル詔書はいつ出されたものですか?
1923年(大正12年)11月10日に渙発されました。
この詔書が発せられた主な背景は何ですか?
社会の風潮に対する懸念に加え、同年に発生した関東大震災の甚大な災禍を乗り越え、文化の復興と国力の振興を国民の精神的側面から図るためでした。
戦後はどのような扱いを受けましたか?
1948年(昭和23年)6月19日の衆参両院における決議によって、教育勅語などとともに失効確認がなされました。

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参考文献

国立公文書館所蔵「国民精神作興ニ関スル詔書ノ読ミ方(A13100662800)」、椎尾弁匡著『国民精神作興に関する詔書衍義』(浄土宗務所、1924年)、山田孝雄著『国民精神作興に関する詔書義解』(宝文館、1933年)。