日本陸軍の近衛局および近衛師団の沿革

📌 主なポイント
- ✓近衛は1872年(明治5年)に従来の御親兵を改組して設置された日本陸軍の部隊である。
- ✓当初は「近衛局」と呼ばれていたが、1885年に「近衛」と改称され、1891年に「近衛師団」となった。
- ✓設置当初は任期5年で宮城警護を原則としたが、のちに西南戦争への動員や竹橋事件などを経て組織や条例が改訂された。
近衛(このえ)は、1872年に従来の御親兵を改組して設置された日本陸軍の近衛部隊の名称であり、当初は「近衛局」と呼称された。
沿革と組織の変遷
1872年4月16日(明治5年3月9日旧暦)に「近衛条例」が制定され、御親兵掛が廃止されて「近衛局」が置かれた。同年4月24日(旧暦3月17日)には、天皇に直隷する近衛都督の下、御親兵を改称した壮兵からなる「近衛兵」が創設された。宮城警備のほか、各地の鎮台に設置された鎮台兵を指導・訓練する役割も担った。

1873年(明治6年)に制定された徴兵令に基づく徴兵は鎮台にのみ配備されることとなり、近衛の壮兵制は維持された。明治六年政変(征韓論政変)によって薩摩藩出身の近衛兵が大量に帰国すると、鎮台兵の中でも優秀かつ品行方正な者を近衛に転属させる措置が取られた。1874年(明治7年)には近衛条例が改訂されている。当初は任期を5年とし、宮城警護以外の職責を負わない原則であったが、西南戦争に際して近衛にも動員がかけられた。その後、手当に対する不満から1878年には近衛砲兵の一部が騒動を起こす竹橋事件が発生した。
1880年(明治13年)10月5日の改正後の「近衛条例」によると、近衛兵は専ら輦下を護衛し、特旨によらない限り他の徴発に応じないものとされた。また、全国諸兵の模範となることが求められた。
部隊の構成
近衛の幕中には、参謀部、副官、伝令使、文庫武庫主管及び会計部(計算課・糧食課・被服課)が置かれた。また、近衛諸隊として歩兵2連隊、騎兵1中隊、砲兵1大隊、工兵1中隊、輜重兵1小隊及び軍楽隊1隊が配備された。守衛隊は概ね歩兵をもって充てられ、儀仗守衛と通常守衛に分けられていた。
その後の改称と師団への移行
1885年6月4日の太政官の達および同年6月5日の陸軍省達により、近衛局は「近衛」と改称された。1890年(明治23年)3月26日には「近衛司令部条例」が制定され、都督の職務権限は師団長と同一の規定によることとなった。さらに1891年(明治24年)12月14日に名称が変更され、「近衛師団」となった。
歴代近衛都督
- 山縣有朋中将(1872年4月16日 - 1872年8月22日)(兼)
- 西郷隆盛元帥(1872年8月22日 - 1873年10月24日)(欠 1873年10月24日 - 1874年2月8日)
- 山縣有朋 中将(1874年2月8日 - 1877年11月26日)(再)
- 西郷従道中将(1877年11月26日 - 1878年4月18日)
- 山縣有朋 中将(1878年5月1日 - 1879年10月15日)(兼)(再)
- 鳥尾小弥太中将(1879年10月15日 - 1880年3月1日)
- 小松宮彰仁親王中将(1880年3月1日 - 1886年9月28日)
- 有栖川宮熾仁親王大将(1886年9月28日 - 1887年12月5日)
- 小松宮彰仁親王 中将(1887年12月5日 - 1891年12月14日)(再)
よくある質問
近衛部隊の前身は何ですか?
近衛局から近衛師団へ名称が変わったのはいつですか?
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参考文献
内閣官報局「近衛司令部条例(明治23年3月26日勅令第46号)」『法令全書』明治23年、内閣官報局、東京、1912年。