日本の元号
康応 (元号)
康応は、日本の南北朝時代に北朝で使用された元号です。1389年から1390年までの期間を指し、後小松天皇の治世下で用いられました。
📌 主なポイント
- ✓康応は南北朝時代の北朝で使用された元号である。
- ✓期間は1389年から1390年までである。
- ✓出典は『文選』の曹植「七啓」である。
- ✓改元の理由は「病事」とされている。
康応(こうおう、旧字体:康應)は、日本の南北朝時代における元号の一つ。北朝方で使用された元号であり、嘉慶の後、明徳の前にあたる。期間は1389年から1390年まで。
概要
康応の期間中、北朝では後小松天皇が在位し、室町幕府では足利義満が将軍職にあった。一方、南朝方では後亀山天皇が在位していた。
改元
嘉慶3年2月9日(ユリウス暦1389年3月7日)、改元が行われた。改元の理由については『続史愚抄』に「病事」と記されており、前年に近衛兼嗣や二条良基といった摂関家が相次いで死去したことが影響したと考えられている。その後、康応2年3月26日(グレゴリオ暦1390年4月12日)に明徳へと改元された。
出典
元号の出典は『文選』の曹植「七啓」にある「国静民康、神応烋臻、屢獲嘉祥」という一節から採られた。勘申者は東坊城秀長である。
康応期のできごと
康応元年(1389年)2月18日、高麗が倭寇討伐を名目に対馬へ侵攻する事件が発生した。これは「康応の外寇」と呼ばれている。
よくある質問
康応の期間はいつからいつまでですか?
1389年から1390年までの期間です。
康応に改元された理由は何ですか?
『続史愚抄』によると「病事」を理由としており、当時の摂関家(近衛兼嗣・二条良基)の相次ぐ死去が背景にあると考えられています。
康応の出典は何ですか?
『文選』の曹植「七啓」にある「国静民康、神応烋臻、屢獲嘉祥」という一節から採られました。
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参考文献
- 北爪真佐夫「元号と武家」『札幌学院大学人文学会紀要』第68巻、2000年。
- 北爪真佐夫『文士と御家人:中世国家と幕府の吏僚』青史出版、2002年。