朝鮮の歴史

大韓帝国:1897年から1910年までの歴史

大韓帝国:1897年から1910年までの歴史
1897年から1910年まで存在した大韓帝国の歴史、成立の背景、近代化への試み、そして日本による併合までの経緯を解説します。

📌 主なポイント

  • 大韓帝国は1897年から1910年まで存在した。
  • 高宗が皇帝に即位し、国号を朝鮮から大韓へと改称した。
  • 1905年の第二次日韓協約により日本の保護国となった。
  • 1910年の韓国併合により滅亡した。

大韓帝国(だいかんていこく)は、1897年(光武元年)から1910年(隆熙4年)まで朝鮮半島に存在した国家です。李氏朝鮮が清の冊封体制から離脱し、自主独立を宣言して国号を改称したことで成立しました。朝鮮半島における最後の専制君主国として知られています。

成立の背景

1894年に勃発した日清戦争において日本が勝利し、1895年の下関条約により、李氏朝鮮は清の冊封体制から離脱しました。これにより、朝鮮は形式上、清との臣従関係を解消した自主独立国となりました。国王高宗は、この独立を内外に明確に示すため、皇帝への即位と国号の変更を決定しました。

光武改革と近代化の試み

1897年10月、高宗は圜丘壇で祭天の儀式を行い、皇帝に即位しました。国号を「大韓」と定め、元号を「光武」と改めました。これ以降、国家の近代化を目指す「光武改革」が推進されました。土地調査や鉱山開発、殖産興業政策などが実施されましたが、財源の不足や諸外国からの外圧により、その成果は限定的でした。

保護国化と滅亡

日露戦争を経て日本の朝鮮半島における権益が列強に承認されると、1905年の第二次日韓協約により、大韓帝国は日本の保護国となりました。外交権は日本に移管され、統監府が設置されました。その後、1910年の韓国併合ニ関スル条約の締結により、大韓帝国は滅亡し、日本統治時代の朝鮮へと移行しました。

よくある質問

大韓帝国はいつまで存在しましたか?
1897年から1910年8月29日の韓国併合まで存在しました。
なぜ国号を「大韓」に変更したのですか?
清の冊封体制から離脱した自主独立国であることを内外に示し、国王を皇帝と位置づけるために改称されました。
光武改革とは何ですか?
大韓帝国期に行われた近代化政策の総称で、土地調査や殖産興業などが含まれます。

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参考文献

  • 新城道彦「『宮内省省報』を用いた王公族の動向調査」『国際交流研究』第20号、2018年。
  • 矢木毅『韓国・朝鮮史の系譜』塙書房、2012年。
  • 小島毅『「歴史」を動かす―東アジアのなかの日本史』亜紀書房、2011年。
  • 旺文社『歴史総合,世界史探究 流れと枠組みを整理して理解する』2023年。